石清水八幡宮 魑魅魍魎に囲まれる宮
駅を降りるとすぐにケーブルカーの駅があるのでそれに乗る。帰りは徒歩で下山しよう。
石清水八幡が山上に鎮座する神社とは来るまで知らなかった。もっと平坦な場所で比較的繁華な場所にあるものと思っていたが違っていた。
ずっと来たいと思いつつなかなか訪れることができなかった神社。
ケーブルカーを降りると、少しドロンとした空気に包まれた楼門までの道を上る。
境内地は落ち着いた清々しい空気が流れていたのでほっとする。神官の方々が朝のお勤めの祝詞をあげる声が聞こえる。
参拝を終え、帰りの山下までの道を歩くと、どうやら神仏分離される以前、境内地までの山域には多くの寺院があったらしい。どうやら全て「撤去」されたようだ。
その跡を辿る山道の何か「まがまがしい」空気感に嫌なものを感じる。神社を参拝してこういう感覚になるのは珍しい。
この神社の裏面史については何も知らないが、このまがまがしい匂いは、権力やそれに伴う人間の欲望や術数だけではないそれ以上の魑魅魍魎の匂いがする。まだその残り香が強く残っている。
織田信長が比叡山を焼き討ちしたり、本願寺勢力と対峙したが、彼はそれらの欲にまみれた政治性に嫌悪と危機感を感じただろう。彼は神社勢力には全く手を出していない。不思議なことに。
明治維新後の神仏分離に関しては近年、その文化的破壊の負の面が強調されることが多いが、私はプラス面もあり、差し引きすれば多少のプラスだと思っている。
石清水八幡宮が鎮座する男山の山腹を下山しながら、そのことを思い出した。





