船岡山は京都市内にある小高い山。由緒によればこの山を豊臣秀吉の時代の頃から、信長の霊地として自然が残されたという。船岡山の歴史は古く、平安京が成立する時代から、陰陽五行思想や風水思想に基づいて、龍気みなぎる地形であり、玄武の小山であるといわれてきたという。この山の真南が皇居太極殿、朱雀大路となった。
妙見信仰があったらしく、境内の船岡妙見社には玄武大神が祀られている。
由緒によれば、織田信長こそが、それまで京都の都を徹底的に破壊した応仁の乱後の混乱を終息させた人物であり、同時に西洋文明に着目しつつ敬神尊皇の理念に基づいて国家建設を希求したと述べられている。
豊臣秀吉は、明智光秀を討った後、船岡山に信長の霊を慰めるべく寺を建立しようと正親町天皇より天正寺の寺号を賜ったが中途に終わり、明治維新まで、当地は、そのまま保護されたという。
建勲神社は、明治天皇の宣下によって建立が決まった。
徳川時代のおよそ260年間、この山はそのまま保護されて後、明治維新になって、明治天皇によって秀吉が企画した、この山における信長霊の鎮魂は、寺ではなく神社としてなった、というのは、いかにも信長の魂の強い意志を感じさせないではない。
念のため書き加えておくが、織田家の先祖は、今の福井県(越前国)にある、剣神社の社家の系譜であり、第十一代垂仁天皇の皇子五十瓊敷入彦命が作らせた神剣が御神体となっている神社。




