馬淵睦夫氏のある著作を読んでいた。日本文明の世界史的な意義と役割についての考え方において、馬淵氏の思論にはほぼ同意できる。近年同じような意見を言う人も増えてきているように感じる。
氏の書籍の中で大変興味深い小説作品が紹介されていた。
芥川龍之介「神神の微笑」という小品の紹介。
この作品のことは知らなかったが、芥川の全作品は、ネット上から青空文庫で読めるのでさっそく読んでみた。15分ほどで読める。
主人公は安土桃山時代に実在した、日本におけるキリスト教宣教師オルガンティノ。彼は日本において、思うように進まない布教に苦しみ、この国の万物に潜む、目に見えない、「漠然と存在する」大きな壁、「不思議な力」のようなものに恐れを感じていた。
「それが私の使命を妨げている」
ある日、彼は、日本神話のアマテラスの岩戸隠れの際の様子を夢でまざまざと見る。それが何なのか彼には分からないのだが、最後に岩戸が開いた時のまばゆい光が心に残った。
それからしばらくして、謎の老人が彼の面前に忽然と現れる。
「私はこの国の霊の一人です。あなたは天主教を弘めにきていますね。」
老人は言った。そして、はるばるこの国にやってきたのは、あなたたちだけではない。支那や印度からも様々なものが来たが、我々の力は破壊する力ではなく、造り変える力で全てを私達のものにしてきたのです、と語る。そして最後にこう語る。
「事によると泥烏須(デウス=キリスト教あるいは西洋文明のこと)自身も、この国の土人に変わるでしょう。支那や印度も変わったのです。西洋もかわらなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明かりにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい、、、。」
この作品は大正10年12月の作品となっている。大正デモクラシー真っ盛りで、マルクス主義などが流行して日本の知識人の多くがそれらの思想に熱中した時代でもあった。
一方で、戦前の日本の文化人の多くが、明治以降の日本の西洋化に際して、自らのアイデンティティーを確立するために、「西洋」を我々の文明中にいかにして取り込むべきかについて苦悶した。
同じ小説家の夏目漱石などもそうだし、徳富蘇峰、陸羯南他多くの論客や文化人たちがこの問題に真剣に取り組んでいた。
芥川龍之介が自殺したのは、昭和2年7月だから、この作品のおよそ7年後になるが、彼の残した「唯ぼんやりとした不安」とはこの作品に描かれていることに関連するものだったのではないかと私は感じる。
大東亜戦争終結後、日本人からこのような「苦悶」はほぼ消失したが、その最後の人は三島由紀夫だったのではないか。
しかし、「神神の微笑」に語られていることは、いまだこの国に生きており、我々の「造り変える力」は西洋文明を料理して我々の文明に取り込み、その結実はいずれ世界に新たな社会なり文明を産みだし、造りだす原動力になるものと確信している。

