そういう副題がついた個展があった。素晴らしい感性を感じた。まだ30代初年(と思われる)の人の作品だが、最近の若い世代の感性に次代の日本文化とか文明と言ったものに対する期待感は個人的には大きい。
ただまだ弱い(この写真の作家や作品のことを言っているのではない)、というか確たる柱を心中に宿したというところにはまだ行っていないかもしれない。彼らは不安感の中で恐る恐るそれを覗いているという感じがする。それが確たるものになるまではあと10-20年必要になるだろう。
とは言え、我々の世代(主として50代以上)は西洋文化の影響を非常に強く受けていて、どうしても「憧れ」感がどこかに隠れている。西洋的なセンスや価値観を「優れている」というある種の幻想をどこかで隠し持っている。それは時代の宿命かもしれない。
しかし、今の若い世代が、空白の心で世界を見た時、海の向こうの世界に何か素晴らしい世界が横たわっているとは、少なくとも感性の優れた人々は感じないだろう。
従って自然と目は内側に向かう。
とりあえず、最近では、戦後史観の中では「ギルティフリー」な江戸時代に向かっているように思う。
それはそれで正しい面もあるが、個人的には明治以降の日本人達の「内なる闘い」にも目を向けることができれば、自国に対する理解と知見や認識はさらに深まるだろう。そうすれば過去と今の自分が直結して自分の心中に確たる柱が構築されるだろう。
柱というのは他人の意見に動かされることのない揺るぎない価値観というか認識のようなもの。それができると物事の判断は自ら行うことができるようになる。メディアが何を言おうが、知識人が何を言っていたとしても、それに支配されることはなくなる。あくまでもそれは一つの意見認識として捉えられるようになる。
江戸時代というよりは江戸時代までの日本。そしてその後に日本人が闘った西洋文明との邂逅とそれを取り込まざるを得ない自文明の在り方の如何。
戦前の日本は「悪の侵略国家」であって、それを二度と再び再興させてはならない、と口を酸っぱくして叫んだのは英米+ソ連支那であったということを忘れるべきではない。
私に言わせれば
「どの口が言ってるんだ」
と呆れ果てる他ない。しかし戦後知識人達は「仰せの通りです」と一億総懺悔を国民に迫ったという事実から目を逸らすべきではないだろう。
戦後の日本人は繊細過ぎる。少なくとも国際社会に対してはもっと面の皮を厚くしないと、気づいた時には「尻の毛」まで1本残らず抜かれてました。ということになる。
戦前までの日本人は何を考え、何を行動したのかについて当時の日本人の言葉から学ぶ必要がある。

