団塊の世代について書いてみる。予め言っておくがこの世代の全ての人がこうだというのではない。立派な方も多い。ただこの世代の一般的な思考パターンについての私の洞察である。
まず、この世の、あるいは人類の不幸の根源は戦争にありと言わんばかりに「戦争」という言葉を聞く途端、無条件反射のように興奮し反対を唱える。
もちろん戦争に賛成する人間など一般的には、狂人以外にはいない。しかし戦争は何故起きるのか。そういう戦争のロジックというものをよく考える必要がある。歴史的、経済的、文化的、文明的、民族的、国家的なさまざまな要因や事情がある。
戦争が何故起きるかのロジックを無視して戦争の終結や発生を予防することは難しい。というか不可能である。喧嘩両成敗という言葉もある。起こすものにも起こされるものにもそれなりの理由がある。夫婦仲の問題とも似たようなものだ。多くの場合、一方だけが悪いと裁くことはできない。
しかし彼らはそういうことを突き詰めていこうと促すと大概、結果的に発狂したように興奮して誤魔化す。深く考えることは良くないことであるかのように。彼らにとって「事情」などどうでもよくとにかく戦争が嫌いで反対であるという姿勢が重要なのかもしれない。
場合によっては、その逆に開き直って、ヘラヘラ笑い飛ばすこともある。
「ネトウヨの言いそうなことだw」的な。
一方で、世界には戦争よりもはるかに悲惨なことが山ほどあるがこういう問題には案外「寛容」である。
例えば、中華人民共和国国内でチベット人が百万人単位で虐殺されている事実。ウイグルでエスニッククレンジング(民族浄化政策)が今現在実施されていることにもあまり反応はしない。
中共はどうやら嫌いではないようだ。
一体あの「戦争」という言葉を聞いた時の激的興奮はどこへ行ったのだろう。もちろん「中国で日本がしたこと」に対する興奮は凄まじいのは言うまでもない。
そして、「戦争」という言葉への憎しみと反比例する形で「平和」という言葉が好きなのは言うまでもない。
しかし、彼らにとって「戦争」という言葉も「平和」という言葉にも深い考察はなくただ単語を繰り返しているだけのように見える。何か説得力のある内容をそこに感じたことは一度もない。テレビメディアなどは毎日毎日1時間に1回くらいそれを叫んでいるように見える。専修念仏。それと同じように。
この世代はテレビ依存度が極めて高く、テレビの言説や大手メディアの主張を簡単に信じる傾向が極めて強いと言われる。
いつも思うが、30%から35%程度の人間を思うように操作できれば国を動かしたり世の中を支配したりすることができる。自民党の支持率は大体いつもその程度だしナチス政権の支持率もその程度だったと言われている。
社会を動かす上で、メディアにとって「このような層」以上に都合の良い「ツール」はないだろう。
小沢一郎はかつて首相についてこう言った。
「御輿は軽くてパーがいい」
彼らが何故「戦争」「平和」「憲法九条擁護」などの言葉を聞いた途端あたかも「自動的に」反応したり興奮したりするのか。
そういうことを考えていくと「刷り込み」がいかに効果的かがわかる。実際そんなに知識があるわけでも真実に通じているわけでもないが異常に確信に満ちているように見えるのだ。しかし根拠はあまり強くない。
団塊の世代に対する「刷り込み」とは言うまでもなく戦後占領政策によるものであることは言うまでもない。
しかし、さまざまな状況を観察していると不思議なことに「刷り込み」が効果的なのは常に全体の3割から4割くらいだと思われる。
残りの3割くらいはいずれかに流される。
「支配層」にとってはそれで充分だ。
最近では上の単語に加えて、
「コロナ」「ワクチン」「マスク」「ロシア」「ウクライナ」などの言葉が追加されたようだ。
しかもこれらはあたかも「日本」における壮大な実験を踏まえて世界展開を遂げている。
しかし何故一定程度の人間は常に「支配層」や「メディア」などの思惑や意図に従順に反応するのかの理由は定かではない。
彼らの御輿を担いだところで何の見返りもないどころか一層「吸いとられる」だけなのにも関わらずだ。
団塊から話が少し逸れたが、ある意味団塊の世代というのは最も「洗脳」された世代(偉大なる「被洗脳世代」)という意味で一つの大きな注目すべき集団サンプルになるのではないか。
何故その人がそれに気づくのか。あるいは気づかないのかの理由は定かではないが、気づく人になって欲しいという思いを込めてこれを書いている。
世界は今後大きく二つに割れていくだろう。

