10年後の世界 「ヨハネの黙示録」の描く世界の実現に向けて
10年後の世界は、今ある世界の延長線上に予想される世界とは全く違うものになっているだろう。その過程で、大きな断崖があるのか、別の場所に移動するのか、そういう想定外の変化が起こる。
この二千年というタイムスパンが主として西暦で表されているように、この二千年は「聖書」を主とした軸足で動いてきたし、特にこの数百年の世界史の主軸がそれを根源とした人類史であったことは否定できない。
聖書は彼らの文明の設計図であり、その設計図の完成の時に何が起こるか、そして完成までの期間、その書を元に生きる人々はどのようにして生きるかについての手引書でもある。
その設計図の完成の直前に何が起こるのかについて記載がある。
例えば「ヨハネの黙示録」には、大地震、疫病、戦争が続けざまに起こり、人の数が3分の1になるとある。
3分の1というのは物理的な数を意味するのか、あるいは「気づき」を得る人々の割合を意味するのかについては諸説ある。
いずれにしても「その時」はこれからの数年、長くても10年以内に起こる確率が高い。ここ数年の世界情勢を冷静に見つめれば、おのずとその時は近いと考えてさしつかえない状況にあると言えるだろう。
未来を予想するのに「聖書」という迷信や作り話を参考にするなどバカげていると考えるならば、人類史の行く末や現代文明の本質の何たるかを理解することはできない。
科学も資本主義もマルクス主義も「聖書」の派生品に過ぎない。科学には別のファクターが含まれているかもしれないが、少なくとも現代科学が、その文明の最中で生まれた以上、その派生品と考えるべきだ。
「私は科学者だ。だから科学の世界以外の手段で未来を予想するつもりはない」と言ってみたところで、派生品の世界観の中から人類文明のあれこれを見ても、その本質を見ることは容易ではないだろう。
「ヨハネの黙示録」には彼らの文明の設計図の最終局面が描かれている。
「ヨハネの黙示録」は新約聖書に含まれるが、出自は明らかではない。私見では、この書は旧約聖書の完成形に位置づけられるのではないかと考えている。
ユダヤ・キリスト教文明の設計図の最終版が「ヨハネの黙示録」である。
人類史の行く末を見たいなら、キリスト教やユダヤ教の信者でないものにとっては、この書を読むだけでも、良いかもしれない。ただし、旧約にも同様の記述が含まれる書がある。
現代人類史の軸足が「聖書」に由来する文明によって動かされている以上、そこに記載されていることは地球的なレベルで起こるだろう。
これから、10年以内に起こる変化を分かりやすく例えるならば、
この二千年ほどの期間、人は同じ場所に立って、正面に見える三角形を見続けていた。しかし、この数年の間、人はようやくその場所から少しづつ体を動かし始めた。
すると今まで三角形だと思っていた平面体が実は立方体だったことに気づいた。今まで平面の三角形だと信じ続けていたものが、実はそうではなく立方体だった。
そういう変化が人間の精神のレベルや魂のレベルでこれから起こるだろう。その大きなひずみに耐えられない人も数多くいることが想定される。
今までの延長線上に予想されるところに未来はない。
かつて、キリストが生まれ仏陀や孔子が生まれてそれを起点として主たる現代文明が生まれたとするならば、それと同様のことが今後起こる。あるいはもっと大きな変化を伴った新しい文明の誕生に向けた動きが起こる。
次の「聖書」が生み出される時が近づいている。
ただし、次の文明の「書」は書ではないかもしれない。
いずれにしても、その文明のヒントは日本にあるだろう。
もし、10年後の世界が、今の延長線上の想定の範囲内のものでしかなかったとしたら、逆に人類史は暗いものでしかなくなる可能性が高い。その場合、人類はひたすら終焉に向かうだけの運命を辿ることになるかもしれない。
10年後が20年後にずれる可能性もあるが、その確率は結構低いような気がしている。
(写真:ランブール兄弟「パトモス島の福音書記者聖ヨハネ」)

