「バンザイ屋」という職業があることは知らなかった。令和の時代には恐らくもうないだろう。昭和末期頃に書かれた文章を読んでいたら出てきた。外国人のコンサルタントが日本企業に雇われたが、ある日一人の男がやってきて、会社の玄関で突然、
「バンザイ!バンザイ!」
と叫びはじめたという。しばらくすると会社の「担当者」が「金一封」を手渡した。男は急に神妙な面持ちになり叫ぶのをやめて立ち去った。外国人担当者は意味がわからず困惑したが、バンザイ屋という総会屋の一種だと知った。当時日本国内でこの手の企業出費の合計額が1兆円を超えていたとか。
映画の中で植木等あたりがふざけてやってそうなイメージしか思い浮かばないものだが、昭和まではこういうのがあったんだろう。
もちろん外国人にも全く意味不明なこの「習慣」に対して、著者の山本七平が次のようなことを述べている。以下少し長いが引用。
「おそらくこの基本は、『礼』に基づく「人格的支配」すなはち一種の徳治主義の伝統からきた弊害ではないかと思う。何しろ「無礼討ち」が存在した社会からまだ一世紀余りしかたっていない。この世界では非礼な扱いをうけ、それをそのまま放置しておけば、非礼を受けたほうに何らかの非行乃至は非論理的行為がある証拠とされるのが当然なのである。それがそのまま現代に移行すると、いわば「無礼への札たば討ち」で相手を黙らせねばならないことになる。何しろ罵詈雑言を受けたら「理由なく受けたほうが悪い」のであり、「そいつをボロクソにやっつけてやった」は、一種の自慢であっても、その「ボロクソ」なるものの内容が果して正当性をもつか否かを人は問わない世界だからである。そこでその内容が「バンザイ、バンザーイ」であっても少しもかまわないことになる。そのためこれをやられるとお手あげで、「やられた側」が社会的信頼を失うから、たとえ法律で取り締まらなくても、「ほっとけ、何年でも勝手にやらせておけ、、、」という形で対処することによって、これを絶滅するわけにもいかないのである。」
(『論争できる人間づくりを』より)
正直言うと私自身この文章の意味が少し分からないところがある。私自身、元来あまり「日本人的」ではないからかもしれないが。この文章を読んで深く納得する人は「日本人的」な発想の持ち主かもしれない。
「無礼討ち(切捨御免)」というのは、武士が耐え難い侮辱を受けたと感じた場合、「やむを得ない」ことだと認められれば、斬り捨てが許された武士の特権のこと。
街宣右翼とか総会屋という職業はだんだんなくなってきたが、最近これに代わって「ネット叩き」というのが始まったのかもいれないなと。中国では「五毛党」というものがすでにあるが「ネット叩き」も職業化している可能性がある。
追記 山本氏の文章には以下続く。
「選挙ともなればやはり、「選挙屋」が活躍するという。(中略 ある候補者は、)予め金で手を打つという「常識」がなく、またそれをする気が少しもなかったため、あっという間に誹謗中傷の洪水となり、当選どころか社会的信用の失墜からその後の社会的な日常生活にまで支障をきたしたという。そしてこういった傾向は社会全般にあり、われわれは常に「正誤・当否」を率直に明言するよりも、むしろ罵詈雑言を受けないように、非礼をされないようにと、自己の発言や行動を規制しているのが実情であろう。そしてそのことは、それを逆用する人間に、さまざまの面で規制されかつ支配されていることを意味している」
ここでようやく理解できた。

