今の若い人には全く理解できないだろう。父親がそもそも戦後世代の人にとっては、戦中戦前を生きた人の精神状態というものを理解できる手筈がない。
私の父親は、自分の世代の父親よりもかなり高齢だったから、戦中戦前派だったが、父の心境や父の兄弟や、同じ世代を生きた人達の感覚をそれなりに肌身で感じることができたと思っている。
この世代の人達は、自分は戦争に行って生きて還ってきたことに「負い目」を感じていた。自分の戦友たちは自分達よりもはるかに優秀で魅力的な人達がたくさんいたが、その大半は早々と戦死していった。
にもかかわらず自分は生き延びた。本来生き延びるべき人間が死に、自分のような出来損ないが生き延びた。そういう申訳なさや負い目があって、その罪滅ぼしや供養や恩返しのために戦後を生きた。
私の知る限りそういう人が非常に多かった。そしてそういう人達が戦後の、世界を圧倒するほどの奇跡的高度成長を実現した。
皮肉なことに彼ら世代が日本社会から一線を引いた途端、日本経済は低迷し、今や過去の栄光は風前の灯のようだ。
昭和期に活躍した「まとも」な評論家やさまざまな人士の語ったことや書き留めたことを今読むことは非常に意義あるような気がしている。自分も忘れていた感覚や今だからこそはっとするような学びがある。
山本七平氏の書籍を数日前に偶然近くの古書店で見つけて購入したが、非常に面白い。
「人生観におとされた昭和の影」というコラムの中で、
「俗に言う「死に損ない」のわれわれ世代は、戦後に多くのものが社会主義に身を投じた。いや、身を投じないまでも何らかの共感を示した。いわばどこかに確固たる“世界”があり、その世界を自己の世界とすることでこの虚無感を埋めようとしたのである。今になれば、それは戦時中の大義名分以上に空虚なものであったかもしれない。しかし、それに献身した人の晩年を笑う気はしない。(中略)お前は死んだ、俺は生きた、しかし見てくれ、日本をこのようにし再建したと言えることが、生の意味づけであった。だが、その努力によって再建された日本は、自らが目指したものと全く違ったものになっていた。」
この言葉は、日本の『戦後』そのものの歴史を表明しているように私には思える。
これ以降、すなはちバブル崩壊以降の日本は「日本」を失い、自らのあるべき姿も立ち位置も見いだせないまま、衰弱し、腐敗した。
山本氏の、同じ書籍の別の論考ではこのように語っている。
「ティリッヒはまた人間の自由を「歴史的自由」と規定しており、「歴史は自由の条件」であって、この条件を欠いた自由は存在しないと言っている。確かにその通りで、完全に自然的条件しかない場所に人間を放り出して「お前は今日から自由だ」と言っても、言葉も通じない異文化圏に放り出しても、また条件なしで社会に放り出して同じことを言っても、その人にとっては、自由どころか、戦慄と恐怖と不安しかないであろう。「人間性」も「豊かさ」も同じであり、歴史という条件を欠けば、それ自体が存在しない。それをいくら、自然的条件や外国の尺度で「豊かだ」「人間性尊重だ」と言ったところで無意味であり、その無意味さは「歴史という条件」の無視にある。戦後の問題点の一つはここにあるであろう」(「豊かな人間性」より)

