世界の歴史や近年世界で起こっていることを俯瞰的に解釈すれば、国家がやって良いことと悪いことというのが自ずと明らかになる。
1. 力が強い時に力で他国に影響力を強制しないこと
世界の歴史を見るとどんな国でも力を持ちたいと願い力をつければ横柄な態度で相手に対する。しかし、人類史の中で永久に力を持ち続けた国家や民族の例はない。いつか必ず力は衰え衰弱する。力のある時に、力を行使すればその行使の度合いに応じて衰退し、衰退した際、かつて力を行使した民族や国家などに復讐されるだろう。
現在の欧州が目に見える良い手本である。
欧州全土で移民が溢れ、自らの文化文明を破壊され、生活圏や価値観を蹂躙されることで、移民反対の政党が次々躍進しているが、そもそも欧州がこれだけの移民を受け入れねばならない背景には、かつての植民地帝国主義や覇権主義で中東やアフリカ諸国を力で強圧し搾取し自国や自民族の利益のみを優先させた結果である。
その挙句、差別反対だとか平等だとか言っているが、本音を言えば、全て追い詰められた果ての「言い訳」にしか聞こえない。
欧州人が中東やアフリカや南米を強圧迫害し搾取せず、彼らの国家をも安定的にそれなりの繁栄を支援していれば、今頃になって口うるさく差別反対だの平等だのと「良い子面」する必要もない。調子が良い時は威張り散らし、力がなくなれば紳士面したり厄介払いしたりする。人間は常に自己中心主義的なふるまいを繰り返すものだ。
西洋人の支配層が、日本や他国に自分たちの「基準」を押し付ける行為は私からすれば自分たちがやってきたことの誤魔化し行為であり、「罪の希薄化」でしかない。
それを小間使いのように従う日本人とは一体何なのか?冷静に考える必要があるだろう。
2. 自国や自民族が発展し経済力政治力をつけたなら他国の発展を支援すること
上記に基づき、自国が発展したら、自国の利益の最大化のみに走ることを放棄して他国にも還元することだ。綺麗ごとのように思うかもしれないが、「情けは人のためならず」のことわざの示す通りである。
3. 他国が自国の利益や国土を犯すような行為があった場合は徹底的に戦う
自国や自民族の生存権を脅かす行為に対しては手を緩めず徹底的に戦ってこれを排除することだ。またそのための準備も怠ってはならない。しかし、その勢いで他国を力づくで支配することもすべきではない。相手が降参したら油断ないようにしつつ手を引く。
4. 他民族や他国人への迫害や抑圧は行わない
人類史を見れば、ユダヤ人ほど迫害された民族はいないだろう。ローマ帝国時代にキリスト教は徹底的に迫害されたが、それを生き抜いた果てに欧州を蹂躙してしまった。ユダヤ人の迫害はヒトラーの発案でもナチスの専売品でもなく、欧州史に通底した問題だ。これほど迫害されたユダヤ人はそれを生き抜いた時、ついに欧州を実質支配するほどの力を持つにいたった。もちろんユダヤ人の優秀性もあったかもしれない。
しかし、迫害は相手の力を弱める手段にはならず、むしろより強力な力を与えることになることは歴史が証明している。
迫害や抑圧は結果的に自らを滅ぼす行為でしかないと知るべきであろう。ユダヤ人の例以外にもこのような例は歴史を見ていけばいくらでもあるはずである。
以上のことは世界史、人類史を見ることで得られる教訓である。
5. 明治以降の日本の対外進出について
日本は明治以降朝鮮半島、台湾、太平洋南洋地域を支配した。そもそもの発端は西洋列強のアジアへの侵攻に対する自衛権の行使であった半面、西洋列強の物まねの部分もあった。
その一方で、支配した相手国や国民に対して自国と同じように発展を支援したり、社会システムの基盤作りを真剣に行った。
結果、これらの国は発展して、自立できる体制を作り上げていった。明治以降の日本人の行為は今から見れば未熟な面もあり、やり方を変える必要があると思われることもあるが、西洋人のやり方とは大きく異なっている。
当時の日本人は威張り散らしていた、と非難する外国人がいるが、当時の日本人は日本国内でも同じように威張り散らしている連中がいたことも言っておく必要があるだろう。良く言えば武家社会の名残かもしれない。全ての武士が威張り散らしていたわけではもちろんないし、威張り散らしていたのが武士だけだというのでもないが。

