第一京浜沿いの泉岳寺から三田のちょうど中間あたりに鎮座する古社。
近域の神社としてはかなり古いものだと感じていたが、由緒を見ると創祀は、和銅二年(709)に武蔵国枚岡に東国鎮護の神社として鎮祀とある。当時の社名は稗田神社とある。
その後、当地に遷座。渡辺氏の氏神として尊崇された。この当時あたりから「綱八幡」とも称されたようだ。同じく三田にある慶応大学の裏手に、三井倶楽部に沿って「綱坂」という坂があるが、その一帯は渡辺綱の屋敷があったとされる。ちなみに渡辺綱は、渡辺氏の初代である。
当神社の裏手の崖上には亀塚という円墳があり「亀塚公園」となっている。10年ほど前まで、縄文時代の家が再現され中に展示物などがあったが今はない。
同時にこの公園の敷地は江戸時代は土岐氏の屋敷となっており、戦前頃には華頂宮の屋敷となっていたようだ。現在の公園を囲う塀はその時代のまま残ったものである。
この神社より三田方向へ少し歩くと、札ノ辻がある。
現在ここは再開発されて高級マンションが数棟建っているが、以前は急な崖で岩肌が露出していた。家光の時代に、ここでキリスト教信者が50名ほど処刑されたという。
現在ある碑には記載がないが、以前私が調べた際、処刑された人々はこの崖に吊るされたと書いてあった。その故か近年まで開発されず、当時のままの岩肌が残っていたということだろう。
品川付近は、鈴ヶ森もあり江戸時代までは「江戸域外」で処刑場などとなっていた。赤穂浪士(四十七士)の終焉地も泉岳寺である。
しかし、現在その面影は消えつつある。





