グルジェフは、人を馬車、馬、御者、客の4者の関係性に例えて人間の構造を語っている。
それによれば、馬車が肉体、馬が感情、御者が思考、馬車に乗る客が私(魂)だとしている。通常、人はこの4者の間に相互の連絡を持たない。大概人は「自分はそれを持っている」と思っているが、実際には相互のやりとりがほとんどない(できない)。ごく稀に部分的に繋がるだけだという。
ある時には馬が勝手に暴走し、ある時には御者が右へ曲がろうとして、馬を鞭打つが思い通りに馬が反応しない。坂道に来ると御者や馬の意に反して馬車が勝手に坂を転がり始める。などということの連続で、全てがバラバラに動いており、4者がバランスよく総合的に動作することがないのだと言う。
さらに通常人は、客(魂)の存在を自覚することができず、御者を自分だと思ったり、馬が自分だと思ったり、馬車が自分だと思ったりしているだけだと(このような状態を「自己同一化」といっている)。このような状況下において、人は、次から次へとやってくる外界の状況に、ただひたすら反応するだけの機械人間に過ぎないのだという。
人は通常冷静を装おうが、危機に遭遇すると正気を失って想定外のことをしたり、思いもよらない感情に支配されて、常識を失することも多い。
親子喧嘩程度のことでも、何でもない会話が引き金になり、気づいたら罵り合いの大喧嘩。もう喧嘩などしないと心に決めるが。そんなことが来る日も来る日も続いて。いい加減自分が嫌になるという経験をする人も多いだろう。
二重人格や多重人格を特殊な精神疾患だと一般的にはとらえているが、厳密に言えば全ての人間は実際多重人格なのだとグルジェフは言う。
思考が肉体や感情を完全にコントロールすることは難しい。さらに、思考する者が自分なのか、感情を爆発させるものが自分なのか、食欲や性欲にかられるのが自分なのかの区別もつかない。ましてや自らの本質である魂の存在を認識することはさらに難しい。
唯脳論などに代表される人間の機能と存在の全てを肉体にのみ限定する考え方をこの話に当てはめると、最悪、人間=馬車ということになる。良くても、馬車、馬、御者しかおらず、客がいない。
ある種の極端な唯物主義者は自分の肉体を死後冷凍保存して、科学や医学が進歩したらその肉体を蘇らせようと考えている。また、ある人は、自分のクローンを作ることで永遠の生命(肉体)を得ようと考える。SF映画などでは脳を保存することでその人の意識を永久保存しようとするストーリーもある。
デカルトは、魂(意識・精神)が脳内の松果体に宿るという説を唱えた。人の魂がいつまでも古臭い、ホルマリン漬けにされたような脳の中に宿り続け(させられ)るというのも残酷な話ではある。

