戦後日本人というのは自国に自信も自負もなく、自らの文化的知識や価値に対する理解がないので自国と自己とのアイデンティティの繋ぎ方も分からず、たかだかスポーツや自分自身やせいぜい家族への愛とかそんなもので自意識を満足させてきた。
その結果国際関係における自国の立ち位置においては常に何某かの強い「外国」に依存して、右だろうが左だろうが関係なく、日本以外の強い外国に依存した中での自国の在り方を主張してきた。
米国だとか中国だとかロシアだとか何か他国を起点にして自国の立ち位置を論じることが知識人の常套手段であろう。
しかし、米国。中国は言うに及ばず、ロシアもまた北朝鮮軍を自軍に入れて戦争するにいたっては、ロシアが良いとも言えないだろう。
先日ふと思ったことがある。
自分の世代など特にそうだったが、大学を目指す際、例えば、上智だとか、青学だとか、立教だとか、そういうミッション系の大学を「恰好良い」と思って憧れの大学リストに加えていたものだ。しかし最近(今頃になって)つくづく思う。
国学院だとか国士館などが、憧れの大学にならないこと自体が、戦後日本人の「奴隷根性」の体現以外の何物でもないではないかと。
皇族が国際基督教大学に学ぶに及んでは何をか況やである。
今さらのように思う。
今の自分なら、国学院の神道科とか目指していたかもしれない。国士館というのは私の若い頃は、学ラン着た応援団のイメージしかないような魅力のない大学とみなされていた。しかし、よく考えてみれば、松陰神社の横にあって、吉田松陰の薫陶を受けるべく立ち上がった素晴らしい理念の大学ではないか。
国学院や国士館が目指すべき最高ランクの大学とみなされた時こそこの国が真に自立・自律の意識に目覚めた時なんだろうなと最近は思っている。
進駐軍の「負け犬教育」「奴隷根性教育」を叩き込まれた団塊の世代以降の人間とそれ以前の戦前戦中派とされる人間との決定的な違いというものを私は肌身で知っている。
団塊の世代の人は物腰が柔らかくマイルドで優しい感じの人が多い。しかし、政治や国際関係の中における日本の立ち位置に関する話になると決定的に「自己喪失」する。自国に対しての自負心が全くなく、外側ばかり慮(おもんぱか)る。
確かに、穏やかなことは国際社会において評価される上で重要なファクターだ。そういう意味で戦後日本人は国際社会で上手く生き延びることができた面はあるだろう。そして、それは唯一戦後日本人が良い意味で学んだ重要なファクターだと感じてはいる。紳士的であれということ。
一方、戦前・戦中派の人というのは、「戦争に負けた」ということへの「悔しさ」「くっそー。やられた!」みたいな意識が異常に強かった。ほとんどの人がそういう意識を心中に隠し持って生きていた。そして自国への自負心が非常に強固だった。自分の若い頃はそれを違和感に感じたほどだった。しかし、戦後の高度成長を支えたのはこういう人々の意識ゆえだとつくづく痛感している。
外資系の現地採用で日本国内に勤務する人というのは、本国採用の人と勤務体系が全く違い、給与も何分か何十分の一に過ぎず、なおかつ本国採用の社員には全く逆らえない。それでも日本国内の企業に比べれば給与はかなり良い。
職場の知り合いで以前外資系で勤務した経験のある人から聞いた話。その会社では本国採用の社員が現地採用の社員を表彰するようなイベントがあるという。「あなたは素晴らしい働きをした優秀な社員で自社の誇りだ」などと称えられ、家族を招かれて顕彰されるという。
人の好い日本人は大喜びの者も多いと言うが、本国採用の社員や役員は利益の大半を掠め取って膨大な利益を積んでいることにはあまり頓着はないのかどうなのか。しかし彼曰く、
「要するに奴隷みたいなものだ。」
ちょっとした都合で簡単に首を切られて、はいさようなら。そこで自己主張しない者はただただ損するだけだ。だから米国は訴訟社会なんだよと。最も本国でもエリート採用されない社員は同じようなものなんだろう。
話を戻すが、キリスト教徒でもないのに、ミッション系の大学が「憧れの大学」だともてはやされるようなこの国の戦後の気風は、そろそろ終わりにしたいところだ。(もちろんそういう大学が悪いと言っているわけではない。)
悔しさを忘れた時、人は奴隷化への道へと知らずに歩み始めているのだと。そして気づいた時は完全に奴隷になるものなんだなと。いや奴隷であることにすら気づかなくなるものかと。戦後社会の有り様を見て感じている。
政治家や評論家、起業家も外国にばかり目線を向けるのではなく、自国の価値観というものをもっと重心を置いて自国の社会を構築してほしい。
今の年寄にはもう難しいが、これからの若い世代には戦後日本人のような風になってほしくないと願っているし、恐らく遅くとも20年後くらいにはこの国も今の年寄が思ってもみないような立派な国になっているものと堅く信じて、そのために何か手助けできることがあれば是非したいものだと思っている。
たとえ貧しくとも金の首輪をつけた奴隷よりも気高くあれ。
と最近の私はつくづくこの国に言いたい。

