これまで仙台という街を詳しく見る機会がなかった。見たいと思いつつなかなかゆっくり時間がとれずにそのまま時が過ぎた。
今回はじめて青葉城(仙台城)を見て非常に驚いたのは、江戸時代の外様の大藩でこれほど戦闘モードの山城があるのかということである。
江戸時代の大藩の多くは平城で平和な空気感が漂わないでもない。大阪城のように平城でも鉄壁な作りのものもあっただろうが大阪城は冬の陣で堀が埋められたというわけで。
大概の城は庶民の生活空間と連続する形で堀割があり城があるものだ。
一方、青葉城は川を挟んで各所が絶壁になっている険しい山城でここを攻めるのはかなり厳しいものがあると思われた。
本丸他二の丸など大半は山上にあり、領民の居住地は川を挟んだ平地にある。城の後方の比較的高台には八幡宮(国宝になっている)があり、その周辺にも多くの屋敷があって栄えたというが、それはあたかも城の後詰のように見える。
二の丸以降を含む本丸御殿は領民の中心地域であった国分町よりも川向こうのかなり引いた場所にある。私はそこに戦国武将の慎重さというかある種の神経質さや冷徹さのようなものを感じたのだが。気のせいだろうか。
あの猜疑心の深い家康がよくもこんな城を許したものだと思うが、時代小説家などが伊達政宗を「家康が最も恐れた男」などと書くのを見ることがあるのを見ると、なるほどそういうこともあったかもしれないと感じられた。
家康の時代には織田、豊臣、前田、毛利、上杉、武田などの諸家で能力の高い武将がほとんど他界あるいは滅亡した中で伊達政宗は一番最後に生まれた有能な戦国武将であったとも言われるが確かにそうだったのかと思わせるものがある。
島津ほど遠く離れた地域であるならいざ知らず。江戸からそれほど遠いとも言えない仙台で伊達家は、家康様のために北方の鎮護を承りまする。とでも確約したのかもしれないが、どっちを向いているかも定かでない。
仙台市内を歩いていると時折不敵な笑みを浮かべてくる人がいるように見えたのは私の思い過ごしだろうか。
大阪に行けば秀吉のような商売上手で人を笑かすのが得意な人たらしがいるように。その地域にはそこで名をなした人物の人柄がその地域の人柄に反映する姿を時折見受けるが、仙台ではどこを見ても伊達政宗を思わせるものが溢れており、他の地域、例えば甲府だとか名古屋だとか鹿児島だとかそういう地域よりもさらに強めに感じるのは気のせいだろうか。
あの有名な伊達政宗の馬上の銅像が仙台市を見下ろす本丸の敷地内にあるのを初めて知ったが、こういうロケーションにこういうものがあるというのも非常に珍しい。隙あらば天下を狙う姿が彷彿される。
尚、本丸敷地には宮城県の護国神社があり、城の入口には鳥居が建っている。
写真4枚目は伊達政宗を祀る、護国神社敷地内の浦安宮。




