Close Menu
  • ホーム
  • 公開日順
  • 日本文明・神社・神道
  • 文明論
  • 直観・霊感的
  • 神社巡り
  • 政治・国際関係・経済
  • 日本史
  • 世界史
  • 文化・文芸的
  • 動画紹介
  • コラム
  • 魂降日記について
  • お問い合わせ
  • 利用規約
  • プライバシーポリシー
最新記事

見えない戦争 – 感情の戦争の時代 三島由紀夫「豊饒の海 春の雪」が語る予言的な言葉

令和8年4月11日

イランとウクライナを巡る1つのシナリオ

令和8年4月11日

善悪というのは相似形

令和8年4月11日

AIによるイラン関連情報の分析

令和8年4月9日

米国のNATO離脱可能性から世界情勢と日本の立場について思うこと

令和8年4月2日
Facebook
魂降日記魂降日記
Facebook X (Twitter)
  • ホーム
  • 公開日順
  • 日本文明
  • 文明論
  • 言霊
  • 神社巡り
  • 歴史と政治
    • 日本史
    • 世界史
    • 政治・国際関係・経済
    • 政治・国際関係・経済(公開順)
  • コラム
  • 文化・文芸的
魂降日記魂降日記
Home»日本文明・神社・神道

「禁秘抄講義」を読む(5) 壇之浦合戦における安徳天皇と神器の行方

令和元年6月18日 日本文明・神社・神道
「禁秘抄講義」を読む(5) 壇之浦合戦における安徳天皇と神器の行方
Share
Facebook Twitter LinkedIn Pinterest Email

源平の戦いの最終章、壇之浦合戦において入水されたという安徳天皇であるが、宇佐神宮の古くからの社家である宇佐氏の家伝書には、壇之浦の安徳天皇は替え玉であったという。

壇之浦以前、一時難を逃れて宇佐神宮に逃れた安徳天皇が、宇佐神宮宮司・宇佐公通の息子と入れ替わったという説。(安徳天皇はすり替えられていた 宇佐公康著 )

宇佐家は代々宇佐神宮の社家の家格。偽の文書を代々家伝書として残す必要性や意味はあまりないことから、一つの信憑性ある話として考えられる。 一方、以前対馬に行った際、島の南部を車で走っていると、「安徳天皇陵」という小さな標識を偶然発見した。住所で言うと、対馬市厳原町久根田舎というところ。

途中細い山道に入って危うい道路を上がっていくと、そこに安徳天皇陵と伝えられる区域があり、宮内庁の「佐須陵墓参考地」と記された案内版もあった。この地でおよそ五年間暮らした後、崩御されたという。

 山下の久根田舎の住民は代々そのことを伝えており、地名もそれにちなんでいるという(御所山、楼閣山など)。この御陵の周辺には、扇状の末広がりに同行の重臣や乳母女御などの墳墓が複数あるという。

 これらの話が真実ならば、壇之浦で天皇と共に携行された、神鏡他「三種の神器」も「偽物」であった可能性が高く、後日、海中から奇跡的に発見されたとか、戦いの最中、海上で没しそうになった神鏡の入った櫃を武士が発見し、持ち帰ったなどという話も、それ自体本物の「神器」ではなく、もともと別の場所にそれらが保管されており、合戦後京都に帰還したと考えると、その方が理にかなう。

 順徳天皇の時代、これらの話が京都にまで届いていたのかどうか。いずれにしても、壇之浦合戦から30~40年ほどしか時間が経過していない段階であまり公にならなかった可能性もある。

 禁秘抄には以下にように記載されている。

賢所(1-4)神鏡の歴史

 第六十九代後朱雀天皇長久元年(1040年)九月九日の火災において、源経信が神鏡を持ちだそうとしたが間に合わなかった。しかし、光るものがあって、唐櫃(鏡の入った箱)に入り、焼けなかったと言う。

 一条天皇の御代に十二月御神楽があった。しかし通例は隔年これを行い、順徳天皇の頃には、毎年行っていたと書かれているが、これは一条天皇寛弘の火災(先述)の際、翌年十二月に御神楽が行われたが、これを最初として、隔年行われることとなり、その後一次中絶して、白河天皇の御代になり、再び毎年行われるようになった。

 内裏焼亡の際、新規に宮殿造営された時には神楽が奉納される。

 第八十一代安徳天皇寿永二年(1182年)七月、平源合戦において、天皇とともに、神鏡劔璽も同行されたが、文治元年(寿永四年 1185年)壇之浦合戦に敗れ、天皇は海中に没し、大納言左ノ局は、賢所の御唐櫃を海に投げいれようとしたが、袴の裾を船に射つけられて動けずにいるうち、武士が御唐櫃を取り留めた。このことは、平家物語にも源平盛衰記にも書かれている。

 その年の四月に神鏡神璽が京都に戻ったが、京都に戻るまでに三年が過ぎていた。この時、御神楽を行い、神霊をお慰めしようとしたが、これは特別のことである。

(写真:1枚目 下関 赤間神宮―安徳天皇を祀る、社内には安徳天皇陵もある/2~4枚目 対馬 厳原町久根田舎にある伝安徳天皇陵参考地)

対馬 厳原町久根田舎にある伝安徳天皇陵参考地対馬 厳原町久根田舎にある伝安徳天皇陵参考地
対馬 厳原町久根田舎にある伝安徳天皇陵参考地対馬 厳原町久根田舎にある伝安徳天皇陵参考地
対馬 厳原町久根田舎にある伝安徳天皇陵参考地対馬 厳原町久根田舎にある伝安徳天皇陵参考地
禁秘抄講義

関連タイトル

日本文明・神社・神道

「豊饒の海 春の雪」の一節から見る高市早苗首相と日本の未来

令和8年3月19日
日本文明・神社・神道

「空気」を超えて 大和心の正体

令和8年3月10日
直観・霊感的

「令和維新」

令和8年2月7日
日本文明・神社・神道

国家の命運を決めるのは国民

令和8年1月20日
日本文明・神社・神道

日本人的感性による全宗教の曼荼羅化と〇〇ファーストの限界 – 空海「般若心経秘鍵」を読んで

令和7年11月29日
日本文明・神社・神道

貞明皇后 御製

令和7年11月23日
最新投稿

見えない戦争 – 感情の戦争の時代 三島由紀夫「豊饒の海 春の雪」が語る予言的な言葉

令和8年4月11日

イランとウクライナを巡る1つのシナリオ

令和8年4月11日

善悪というのは相似形

令和8年4月11日

AIによるイラン関連情報の分析

令和8年4月9日

米国のNATO離脱可能性から世界情勢と日本の立場について思うこと

令和8年4月2日

ホルムズ海峡関連で今後想定されること

令和8年3月26日

no more remember PH?

令和8年3月22日

「豊饒の海 春の雪」の一節から見る高市早苗首相と日本の未来

令和8年3月19日

英彦山神宮 下津宮から参道へ

令和8年3月15日

英彦山神宮

令和8年3月14日
© 2026 Tamafuri Nikki
  • 魂降日記について
  • プライバシーポリシー
  • 利用規約
  • お問い合わせ

検索したい文字を上のボックスに入力してエンターキーを押してください。検索ボックスを消すばあいはESCボタンを押してください。

Go to mobile version