小説や映画やなにがしかの創作物にでくわした際、それについての感想の中で、「宗教的ではあるが」という文言に出くわすことがしばしばある。
これは創作者がなにがしかの信仰を持っていてそれに触発されて創作したものであることが多いが、名作とされる歴史的な創作物の大半は「宗教的」である。
「宗教的ではあるが」と言う言葉の中には、宗教というものは自分とは関係ないもの、あまり関わりたくないもの。場合によっては何か現代人の感覚からすると少し劣ったもの。というニュアンスがある。
私の感覚では、宗教とは要するに、人間の生死を超えた存在意義を探求する姿勢のことだと考えている。
しかし多くの人は、宗教=信仰だと考えるだろう。
信仰というのは、例えば、「信じれば救われる」とか「これを信じれば幸せになる」とか「金持ちになる」とかいう類のものだ。
もっと酷いものになるとこれを信じないと地獄に落ちるとか何とか。
変な話だが、こうなってくると、人間の生死を超えた存在意義の探求とはかなりかけ離れた話になってくる。それを宗教と呼ぶんだとすると万人にとってそれほどの価値はないものかもしれない。
「宗教的ではあるが」という言葉にはこのような人間の営みの積み重ねからくる、「あのようなもの」への忌避感があるが、実はそれ自体が本質的には宗教的な話ではなくなっているのかもしれない。
そのような意味で私自身も「宗教」という言葉は好きではない。

