自分が若い頃、父親が「男はつらいよ」が好きで1年に2回(その当時は)寅さん映画を見ていた。
私の世代は、大概「西洋かぶれ」で西洋人の乾いたタッチの映画を好み、なぜ日本人はこうではないのかと、絶望的な気分で「渥美清」に落胆したものだ。
だから、父親の感性を馬鹿にしていた。今風に言えば、「ダサイ」「遅れている」「所詮日本人はこんな映画で喜んでいるな」と。
しかし、自分が50歳を超える頃、たまたま。男はつらいよを見る機会があった。
その時の「想定外の」感動は言葉に尽くしがたいものがあった。
「人間の哀切」「一瞬の喜び」「馬鹿馬鹿しさ」「瞬間的な楽しさや幸福」「生きていることのむなしさやなにがしか」そういうものが全て彼の下らない言動や諍いや笑いの中に凝縮されている。
確かに脚本がいいんだと思う。しかし、それをそれ以上にリアリズムで表現できる渥美清やそれを囲む「愛すべき人々」。こんな人たちに囲まれているんだったら、誰でも「寅さん」になりたいと思う。
その後、恐ろしく口うるさい「文芸物」を好む、欧州の文芸的大作しかまともに評価しないような堅物の映画マニアの友人に「男はつらいよ」を勧めた。
「馬鹿にしてると思うけど、騙されたと思ってみて欲しい。第1作目を見てつまらないと思ったら2度と見なくてもいいから」
そう伝えた。しばらくして彼に会った時
「全作みました。」と。(笑)
私ですら全作は見ていない。50作あるから。
彼は言った。
「この歳にならないとわからないだろうな。あの作品の良さは。」
自分も50を超えるころまでは分からなかった。それまでは日本人の恥部のごとく、こういう作品がいまだに受け入れられていることに落胆したものだ。
ところで、そうこう思うのは、子供を産み育てることのできない男の特権ではないかと思う側面も最近ではある。
「寅さん」は男性の生きざまにおいて、ある種の理想像であるかもしれない。なぜか、彼はずっと子供のままだからだ。それはとても「男性的」なものだ。
男が死ぬまで子供のままだと言われることが多いがそれは、男が生命を産まず、生き物としての「部外者」でしかないからではないか。
そういう意味で「寅さん」は男性の本音のままに生きる存在なのだろう。
寅さんの気持ちを理解できるのは、そこそこ歳のいった男性だけだろうと思っていたのだが、最近、ある動画を見ていたら、滝沢カレンさんが「寅さんが好きだ」と。
そんな女性がいるんだなと。まるで映画の中の「マドンナ」のように。本当に驚いた。
今時の女性で寅さんが好きだという女性がいるんだと。彼女のキャラから考えて、「おじさん受け」を狙ってのビジネストークとも思えない。
彼女は見た目は、西洋人だけど心はとても日本人なんだなと感じた。あれが好きだと言える女性は少なくとも日本人以外ありえないのではないかと。
