鹿島神宮を参拝。十年ぶりくらいだろうか。
要石に向かう参道で「神道を通す」という言葉が脳裏をよぎった。
神道とはしんとうではなく、神の道、しんどうという意味。
自宅へ戻って後、鹿島と香取の神様のことなどについて考察。
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鹿島と香取 経津主(フツ)は出雲出自で建御雷神よりも古い神
経津主=フツ=布都→物部という系譜で見る
今年は鹿島神宮の十二年周期の式年大祭の年。八月三十一日から九月三日までの期間、御船祭が斎行される。鹿島大神(タケミカヅチ)の仮宮が大船津から水上を香取神宮近くまで渡御する。加藤洲の斎杭というところで経津主大神と水上で再会する。
一方香取神宮でも式年大祭・神幸祭があるが、鹿島神宮へ向かうという意識は特に見られず自領を巡り、「鹿島神宮・小御門神社・御迎祭」と記される場において水上で儀礼的な出会いを行う。
この両祭の違いについて調べたが明確なことは分からなかった。
経津主大神は物部系の神様と考えられる。石上神宮は、
布留御魂(フル)=十種神宝
布都御魂(フツ)=布都御魂剣(タケミカヅチが帯びた霊剣「韴霊 布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」)またの名は平国之剣
布都斯御魂(フツシ)=天羽々斬剣(素戔嗚尊が八岐大蛇を斬った剣)
を御神体としておりこれを物部氏が奉斎する。この三体をそれぞれ同族の人格神であるとする説もあり、しばしば大物主、ニギハヤヒ、スサノオなどの神名が出ることが多い。
出雲国譲りの談判でタケミカヅチが手にしているのが十掬剣(十握剣、十拳剣)でこれが天羽々斬剣(布都斯御魂)。また、神武東征で熊野において侵攻を阻まれた際、随行した高倉下命が、夢の中でタケミカヅチによって授けられたのが布都御魂(平国之剣)。平国之剣も出雲平定で使用された際にタケミカヅチが使用した剣とされる。こうなると布都御魂と布都斯御魂との違いが明瞭ではなくなる。しかし、夢を見た後、倉の中にそれが置かれてあったという経緯から新たに授けられたものだろうか。布都御魂は布都斯御魂の分霊剣なのかもしれない。
高倉下命は弥彦神社の祭神である天香山命と同神であるという説がある。天香山命の父神はニギハヤヒ。先代旧事本紀では物部氏等の祖神である宇摩志摩治命は異母兄弟神となっており、ニギハヤヒはニニギノミコトの兄とされる。
元伊勢籠神社の社家・海部氏に伝わる日本最古の海部氏系図でもニギハヤヒ(天火明命)はニニギノミコトの兄と記載。ウマシマデ(宇摩志麻治)はニギハヤヒ(天火明命)の子となっている。
経津主(フツ)は、日本書記において出雲国譲りに際してタケミカヅチと同行したとされるが、古事記には全く登場せず、かわりに天鳥船神が同行したと記されている。
出雲国風土記にはワカフツヌシ(和加布都努志命)・布都怒志命として登場するが、オオクニヌシの子とされ在地の有力神という扱いで軍神という扱いではない。タケミカヅチの名は出てこない。
常陸国風土記では荒ぶる神、武神、刀剣神として描かれており、タケミカヅチの名は全く出ず、香島の天の大神という表現がある。
先代旧事本紀には、布都主神魂刀(ふつのぬしのかみたまのかたな)が布都御魂剣であるとされ、布都御魂剣=布都主神は同一視。神武東征での霊剣が布都御魂であり後、宇摩志麻治命が宮中に祀り、崇神天皇代に物部氏の伊香色雄によって饒速日命の神宝とともに石上神宮に御神体として奉斎されたとの記載。
タケミカヅチがフツヌシの神霊が宿る神剣を用いたとするならタケミカヅチが出現した頃にはすでにフツヌシは神界の人ということになる。
香取神宮の近隣に鳥見神社という神社があり祭神はニギハヤヒ。宮司家は物部氏系だと語っていた。平安時代から伝わる系図があるが一番上には宇摩志麻治命(物部氏の祖)が記載されているという。大和から落ち延びてここへ来たというが、話を聞いていると香取の方が鹿島よりも古いのではないかと感じた。
フツヌシが香取神社付近に赴いたというよりもフツヌシ神を奉ずる物部集団が古代この地に現れ地域を平定したと考えた方が良いだろう。その後、タケミカヅチ神を奉ずる集団がこの地を再び訪れて平定し、さらに東に赴いたのだろうか。




