徳川幕府の鉄砲組同心百人がこの地に居住したことが地名の由来。江戸の西の警護を担当したという。
新大久保駅前の皆中稲荷神社は、ある鉄砲組の同心が霊夢を見、以降鉄砲射撃が百発百中になったことが名の由来だという。
皆中=みんなあたる。
それが所以か今でも、百発百中祈願の絵馬が多くかけられ、案外盛況なのである。
戦後一貫して「怪しげな街」の装いであり続けた大久保。韓国人が来る前は南米の街娼がウロウロしてスモーキーな今よりもずっと危ない感じの街だった。
何が理由でこんなにも街の様相が変化したのだろう。江戸時代から明治初期まではツツジ園があって風光明媚であったというが。
街の様相は江戸時代とはすっかり変わり、今では韓国中国をはじめ、ありとあらゆるアジア人が店を構える巨大なアジア人街となった大久保界隈。
外人比率という意味では六本木よりも高いかもしれない。食事にやってくる日本人客も多い。
そんなところにも参拝客の多い神社が残っているのは嬉しい。





