欧米社会発で、人種差別に対する過剰な反応や様々な人種や民族が共存する「多様性」を推奨して、それに反する社会を差別的であるとか、「多様性」のない社会を遅れた社会であるかのように言い、「多様性」の社会の中における平等や人権の問題について激しく議論し、その中からある種の「理想社会」を結論して、それを人類共通の価値観であるかのように謳いあげ、主として欧米メディアや、国連などの「国際機関」を使って発信して、同様の社会構造やら価値観やらを非西洋社会にも強要するかのような風潮が戦後ずっと存在しているように思われる。
また、日本の「腰ぎんちゃくメディア」達は、それを金科玉条にように推奨してきたが、よくよく考えれば、欧米社会が生み出した「多様性」というのは、主としてアフリカから強制的に運び込んだ「奴隷労働力」に起因するものであり、世界中に植民地を作り、タダ同然の労働力を使って、資本家達が収益を独占したことに起因している。
彼ら社会の他民族流入の歴史は、今でもその流れに沿っており、結局資本家が低賃金労働者を異国から「徴用」していることでしかない。
注意しなければならない最大の問題点は、現在の「移民問題」も基本的には全く同様のロジックで動いているということだ。ただ、その本質を綺麗事や、論点をずらした理想論で誤魔化しているに過ぎない。
しかし、彼らが本質的なロジックを綺麗事で誤魔化すのは彼らの勝手だとしても、その「価値観」を他文化、他文明の諸国にも強要するのは大いに問題であり、さらにそれに気づかず、彼ら発の「価値観」を珍重して、導入しようとする現代の日本社会のおそまつさは、計り知れない。
日本人は世界史を知らなすぎるし、知っていれば、国際社会の中でもっとましな付き合い方や立ち回り方もできるし、さらに言えば、彼らの良いように使われることもないだろうに。
戦後日本社会の歴史的プロセス、特にここ30-40年を俯瞰してみると「哀れなり」という面が大きい。
日本の戦後の「優等生」はこのような西洋発の価値観を頭の中にぎっしりと詰め込んで、日本社会の核に位置している。彼らが自分達が学んできたことに大いなる疑問点を見出すことが日本をまともな国家に立ち直らせる起点になるのではないか。

