このように考えていくと、グローバリズム=ボーダーレスな社会への進行は、ある部分において歴史的宿命と言っても良い。これは、人間の欲望がもたらすところの帰結的宿命であり、この一方的な流れを止めることは、今のところ、できないであろう。しかし、一方でグローバリズム=強国・大国の文明の押し付けと、それ以外の文化文明の破壊と消滅に繋がるとして多くの地域で激しく警戒されている。
ローマ時代から変わらぬことだが、一つの文明の版図が拡大するということは、それ以外の国家、文明、文化の消滅をも意味する。現代においては、例えば米国、中国、ロシアなどの国家によって小国の文化文明が崩壊の危機に立たされるという現実や懸念がある。欧州において反グローバリズムの主軸となる国家はイタリアである。ローマ時代以来の彼ら自身の文化文明に対するプライドが、アメリカ文化の波に洗われることを極端に嫌っているのである。
我々日本人も、グローバリズムなどと言ってみたところで、挙句、日本の米国化や中国化を意味するだけのものであるならば、受け入れることは出ないだろう。グローバリズムへの歴史的宿命とそれに比例する形でのナショナリズムの高揚は、表裏一体で進行して行かざるを得ない。
我々日本人が保持すべきものを自ら自覚できた時、グローバリズムは脅威とはならず、この国の深層と主軸を、その(グローバリズムの)流れの中に流し込む形で、拡散させるべき宿命を追うべきである。(つづく)
(写真: アヴェンティーノの丘の「鍵穴(聖ヨハネ騎士団の館)

