日本は一国家一文明と言われる。日本文明は中華文明には含まれないと「文明の衝突」の著者サミュエルハンチントンもその著作の中で語っている。日本にもし、神道が存在せず、渡来仏教のみであったら、日本は中華文明圏に取り込まれていたであろう。韓国は自らを小中華と言い、それを誇りとしてきたというが、日本は小朝鮮ということになっていたかもしれない。朝鮮半島は中国の劣化版あるいは廉価版であり、日本は朝鮮半島の劣化版あるいは廉価版ということになる。
その意味で神道は日本が自らの文明を構築してきた基盤そのものであり、中核、主軸であると言える。そして神道の中心に天皇の存在がある。日本文明は神道が主軸であるが、同時に天皇の存在を失えば文明の消失にもつながる。日本の歴史は天皇と神道との繋がりと、それを育んできた自然、土地、国民との関係性の上に発展してきた。
しかし、これは同時に国家の存亡と文明の存亡とが表裏一体であることをも意味する。第二次世界大戦における日本の敗北が、天皇の存在を脅かし、同時に日本文明は存亡の危機に立たされたのである。
西洋キリスト教文明の主軸、中核には、ギリシャ哲学、キリスト教以前に存在した神々の神話体系があり、それらを呑み込む形で発展したキリスト教、その派生たるさまざまな思想体系がある。無神論、マルクス主義、科学もまたその派生品である。ローマ時代に国教化されて以降今日にいたるまで、ローマ教皇と教会は、彼等文明の中核としての地位を保ち続けた。もしこれが消失した場合、彼らの文明が世界に及ぼす影響力は急速にその威力を失うであろう。
多くの人間は気づかないが、霊的な中核を所有しない文化や文明は短命であり、そこから生み出されるものの人類全体に対する威力も影響力も重要性も小さいのである。現代人は特にこのことに対する知識が乏しい。芸術におけるルネッサンスや、科学の発展に伴い、西洋人の内面は解放され、以降莫大な人類の遺産を生み出すにいたった。従って、宗教的な呪縛が人間を貶めているのだ。という論理は表面的には正しいが、本質的には間違っている。
西洋人の内面が宗教的な呪縛から解放された時、それまで千年以上に渡り蓄積されてきた、代々に渡る霊的営みの塊が一気に外側へ解放されたのである。江戸時代、もっと正確に言えば古代から蓄積されてきた日本人の霊的、精神的営みの塊が、明治期にいたり一気に外側へ解放されたことと同義である。蓄積されたものが小さければ、あるいは、何ら蓄積されるに値するものがそこになければ、ある時何かが解放されたとしても大したものは出てこない。外側に放出されるものの質量は、蓄積されてきたものの質量に比例するのである。
ローマ教皇及び教会は、ローマ時代以来独自の領土を保持してきた。しかし、彼らがあらゆる国家の拘束力から離脱し、国家的主権を所有するにいたったのは、西洋が大航海時代を迎えて、自らの文明が燎原の火の如く世界に拡散した時代とほぼ同時期である。幕末以降の世界史の中における日本の立ち位置をみつつ、今後日本文明が、その文明の火を保ち、なおかつその美点を世界に拡散させるためにどうあるべきかのヒントがここにある。その歴史を辿り、グローバリズムという、人類史的潮流における日本文明の今後のあり方を考えてみたい。 (つづく)
(写真 : バチカン市国 wiki)

