今、神社へ行くと参拝方法が記載してあり、 払い給へ 清め給へ と唱えよとある。
折口信夫『大嘗祭の本義』によるとこうある。
「祓へといふのは、穢れ又は、慎しむべき事を冒した場合、又は彼方からして、穢れや慎しむべき事がやつて来て、此方に触れた時に、其を贖ふ(あがなう)為に、自分の持つて居るものを提供して、其穢れを祓ふ事である。ーーーーー次に、みそぎといふのは、神事に与る為の用意として、予め、身心を浄めておくことである。家でも、神の来べき時には浄める。謂はゞ、みそぎは、家でも身体でも、神に接する為の資格を得る方法である。後世の神道家は、吉事祓へ・悪事祓へと対照して言ふが、元来、吉事に祓へはない筈である。吉事をまつため、迎ふる為の行事は、禊ぎである。其に対して、祓へは悪事を前提として行はれるものである。」
とある。
祓は、悪いもの、穢れを払うことであり、禊は神や吉事を迎えるための準備をすることである。
そう考えると、祓え給え 禊給え とする方がより良いのかもしれない。同書によれば、平安期以降混同されたとある。
現代では、神社などの大きな神事を大祓というが、本来は、大祓を行い、その後大禊をして神々の降臨をお待ちするということなのであろう。
(写真 : 白山比咩神社HP)

