霊能者と言う人たちがいる。
それを信じる人は一般的にある種崇拝的にその人物の言動を信じようとする傾向がある。
霊能と人格や霊格とは、実はあまり相関関係がない。
霊能があるからと言って、その人物の言うことが正しいのでもない。
霊格が高いからと言って霊能があるわけではない。
霊格と霊能は別次元のことである。
人格が高いからと言って霊格が高いわけでもない。
性格も人格も優れているからと言って、優れた霊性をその人物が備えているのでもない。
優れた霊性があるからと言って優れた霊能があるかどうかは限らない。
ただ霊格が高ければ恐らく何か威厳が備わっているのかもしれない。
人間というものは、自分と同程度か、より低いものには反応しやすいが、高いものは理解できない。
だから人から神は見えにくいのである。
霊能と物質的な成功だけを直結させて、人を集めようとする人物の霊格は高いとは言えない。
それでは、神々も高尚な霊魂も応じることはないだろう。
もちろん物質的な成功が悪いわけでも、そういうことに何か霊的な事柄を兼ねることを否定しているわけではない。
しかし、時には、霊能者に邪なものが背後について、それを信じる者たちが、あげく利用されるだけ利用され、損失を被ることもある。
邪なものはそういうことが楽しいのである。 霊的にことを動かすというのは難しいところがある。
私自身、霊格が高いなどとは思っていないし人格もそれ程でもない。霊能があるわけでもない。しかし、ある種審神者ではないけれども、その人間の本質を見破る力がある。
これは、本能的なものかもしれない。あるいは先祖から受け継いだものかもしれない。
自分は大した人間ではないが、自分の先祖の遠いところにとんでもない人物がいるかもしれないと思うことはある。
とは言え、自分よりも遥かに高い霊格のものや霊魂や神霊のようなものの意志を峻別できる力はないかもしれない。
それは分からないことだからである。
(写真 神功皇后 絵)

