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日本人としての使命 -川端康成の言葉から-

平成28年2月1日 日本文明・神社・神道
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自分は、いくつもの書籍を同時に読む。あまり読む速度が速くないから、読了するまで時間がかかることが多い。

最近、川端康成の「山の音」を読んでいる。戦後日本文学の最高傑作のひとつと言われているが、購入してから、数十年も読まないままであった。

読みながら、この作品を映像化するなら、小津安二郎が適当かな、と感じていたが、成瀬巳喜男が映画化していた。主演のひとりに原節子がいる。成瀬ならば、小津同様にこの世界観をそれなりに表現できるだろうと感じた。機会があれば観てみたい。

私は、川端康成の出生と生い立ちや家系のことが気になった。

何気なく、wikiを調べてみようと思った。驚くべきことに、wikiの情報は、その生涯の流れを概観する部分だけでも読了するのに、ニ十分はかかる詳細なものである。

実に興味深いエピソードがいくつかある。

「川端の家系は北条泰時から700年続き、北条泰時の孫・川端舎人助道政が川端家の祖先である(道政の父親・駿河五郎道時は、北条泰時の九男)。道政は、宿久庄にある如意寺(現・慧光院の前身)の坊官で、同寺は明治期まで川端家の名義であった。川端家の29代目が三八郎で、30代目が栄吉、康成は31代目に当たる」

彼の血筋の中には、鎌倉幕府の執権北条氏の系譜があるというのである。そう考えてみる.と、彼の創作活動期において最も長期間居住した場所は、鎌倉市と伊豆である。

伊豆は北条氏の出自の土地であり、鎌倉は、北条氏が全盛を極めた場所でもある。彼はこの地に居住しながら、自らの魂の奥底に宿る霊感によって、数多くの名作を世に出したのに違いない。

彼は大東亜戦争終結以降、創作スタイルを一貫させた。 彼の終戦は以下のようであった。

『8月15日、日本が敗戦した当日はラジオの前で、一家揃って正装して天皇陛下の玉音放送を聞いた。その報は、『源氏物語』の世界に〈恍惚と陶酔して〉いた川端の胸を厳しく打った。その2日後の17日、川端は鎌倉養老院で島木健作(戦前の著名な小説家)の死(42歳没)を看取った。11月、川端はそれらについて『新潮』で以下のように語った。 ―――私の生涯は「出発まで」もなく、さうしてすでに終つたと、今は感ぜられてならない。古の山河にひとり還つてゆくだけである。私はもう死んだ者として、あはれな日本の美しさのほかのことは、これから一行も書かうとは思はない。 川端康成「島木健作追悼」―――』

「古の山河にひとり還ってゆくだけである。」

この言葉は私の心を打った。そうだったのかと。彼の本心を垣間見た気がしたからである。

彼の魂は、この国の非常なる古(いにしえ)の意識と繋がっていたのだと。彼はそれを通じて「日本の美」や「日本人の本質」を見たのに違いない。

同時に、以下のような言葉も残されている。

『また、川端は夫人に、「これからは、日本の教育が大変なことになるよ。占領軍はまず教育の形を変えさせて、日本をまったく変えてしまおうとするだろう」と話したという。』

三島由紀夫は川端康成に見出された作家のひとりだが、川端なくして、三島を語ることはできないだろう。三島の人生というものも、川端の手のひらの上で踊らされていたのであろうと感じられないでもない。

そのことを、この文章に感じた。三島が川端の自宅を訪問したのは、昭和21年1月。終戦の日から、わずか半年にも満たない後のことである。

昭和22年。代表作「雪国」が完成する。同時期、彼は「哀愁」という随筆を発表した。

『戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないといふ、私の前からの思ひは強くなつた。感じる力がないといふことは、感じられる本体がないといふことであらう。敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものをあるひは信じない。 川端康成「哀愁」』

昨年末から、今年の初めころ、自分の中に湧き出した、「感じる力」という言葉をここに見出し、いささか戦慄を覚えた。

氏は、終戦直後の昭和22年にすでにこのように感じていた。この言葉は、戦後の三島の人生の有りようとも見事に符合している。

川端は、「感じられる本体」が私たち日本人から失われたのだと言う。

しかし、それを今からでも取り戻さなくてはならない時期に来ているのだと確信している。それは可能であるし、いまこそ必要とされているのだとも確信している。

そのための、ささやかであっても、活動を、今後も続けてゆくことのみが、自分が日本人として、この時代に、生を受けた、唯一の理由、意義であると考えたい。

日本人としての魂を受け継ぐものとしての使命であり、生きる意味をそこに見出したいと考えている。 平成28年(2016年)は「日本人」にとって、正念場の年の始まりになるのだと。

(写真 川端康成 鎌倉市長谷の自宅にて(1946年)wikiより)

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