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関大尉と日本人と中国人

平成28年2月21日 日本史
関大尉
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関大尉というのは、神風特攻の第一号として有名な海軍士官である。

父親が存命の頃、関大尉に関する記述を本か何かで読んだ。海兵(海軍兵学校)70期であると書いてあった。私の父親も70期だったので、父親に聞いたことを覚えている。

「関大尉と同期みたいだね。知り合いだったの?」

「いや、あれはオレみたいな出来損ないと違って、学年で首席くらいの優秀な人間で、男前も良くてなあ。雲の上の存在だったよ。ああいう優秀な人間はほとんど戦死して、自分みたいなものが生き残った。皮肉なものだ。」

特攻というのは、海軍兵学校や陸軍士官学校を卒業した職業軍人は、辞令で配置されるが、それでも事前に打診があって、本人の意思を確認する。それ以外のものは、全て志願である。それでも多くの若者達の志願があったし、職業軍人の中にも志願するものもいたという。

父親も特攻隊の指揮官だった。と言っても、木製のモーターボートに爆弾積んで突っ込むものだ。父は、敵艦よりも速度が遅く、大きなエンジン音がする木製ボートで突っ込んでも、敵艦に到達前に確実に捕捉破壊されるから、この作戦は無謀ではないかという意見書のようなものを出したところ、「貴様の言うことは良くわかる」と上官に言われて、配置換えさせられたと聞いた。その後、特攻と同じくらい危険な、終戦間際の、小笠原への物資補給の護衛隊に回されたそうだが。

何でこんな話になったかというと、中国人の民族性というか、気質についていろいろ考えていたところ、「中国人は絶対に特攻なんてしないだろうなあ」と感じたからだ。

現代の中国では、党員や役人、軍人やその家族達が私腹を肥やし、総額300兆円とも言われる、それらの「ブラックマネー」を日本や欧米などの銀行口座に預金したり、不動産に変えたりしている。中国の外貨準備は総額300兆円とも言われているらしいが、額が合うではないか。ということは、、。などという説もささやかれているのだが。

子息は、欧米の一流大学に通わせ、欧米の生活にどっぷりつかり、いざ国家が危うくなったら海外へ逃亡する算段である。

国の指導者にしてこの無責任ぶりというか。人でなしというか。卑怯者というか。日本人ならそう考えるに違いない。

私腹を肥やすのは、これは人間の性なんだから、まあ良しとしよう。しかし、その莫大な資金を、自分達の国を良くしよう、とか自分達の住んでいる中国大陸のためには何ら投資しようとしないように思われる。これでは、何百年たってもこの国は良い国にはならないだろう。

ここが日本人とはかなり違う。日本人はこんな考え方を持つものは少ない。歴史的にも、日本の政治家や権力者、役人たちは、程度の差はあれ、この国を良くしようという意思を持ち、場合によっては、私欲も排してそれに臨んできた。日本人には、国家とか国土を思う気持ちが強い。

中国人のアイデンティティは家族一族を最高の単位としていて、国家とか、国土というものに対する共有意識が希薄というか、ほとんど感じられない。中国人は、自分達の土地、国土、あるいは国家というものに全く求心力を持たない民族であるように思える。これはなぜなのか。

金持ちは、ことあるごとに、欧米や日本の国籍あるいは永住権を欲しがる。しかし、彼等のメンタリティーは、結果、自分達の家族、一族が安全で豊かな生活ができればそれで良いとしか考えておらず、仮に日本や欧米の国籍を取得し、永住したとしても、その国の文化や習俗、価値観やメンタリティーを身に着けようとする意識は、「一般的には」低いと思われる。もちろん、日本に帰化した中国人の中には、日本の文化に惚れ込み、日本人以上に日本の文化に同化し、これを大切にしようと思っている人たちもいるが、割合的には少ないだろう。

彼等は世界中どこへ住み着いても華僑社会の枠組みの中にいて、彼等特有の生活意識、価値観を崩そうとはしないようである。

日本人は、海外に永住するとなれば、可能な限りその国の社会や習慣、習俗の中に同化しようとする。もちろん、日本人としての誇りを保ちながら生活している人も多いけれども。海外で日本人の生活共同体を形成する意識は中国人よりははるかに希薄である。

日本人と中国人はなぜこれほどまでに違うのか。

日本人は土地に根付き、中国人は家族、一族に根付く。

儒教は祖霊崇拝の考え方がある。神道にもあるが、神道の場合、儒教の影響を受けたものと日本古来のものが習合している。

今、儒教について調べているが、これが中国人の気質と大いに関係しているものと私は思っている。

それは同時に神道の意義深さにも行きつくのだが。

神道と儒教。その関わりについて考えることは、日本人と中国人の気質の違いを知る上で重要なファクターとなり得る。

最後に関大尉の生前の言葉と遺書とが、ネット上に記載されていたので、掲載しておく。

生前父親は、私にこう言ったことを記憶している。

「おいお前。お前には特攻に行くという気持ちがどんなものか分からんだろうな。それは恐ろしいものだぞ。」

以下の記載は、関大尉の出撃にいたるまでの心中の動きが察せられる記録である。

以下はwikiより抜粋

(遺書)

父上様、母上様  西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。  今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐることはありません。  鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いる事も出来ず征く事を、御許し下さいませ。  本日、帝国の為、身を以て母艦に体当たりを行ひ、君恩に報ずる覚悟です。皆様御体大切に

満里子殿  何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る  何も言はずとも 武人の妻の覚悟は十分出来ている事と思ふ 御両親様に孝養を専一と心掛け生活して行く様  色々と思出をたどりながら出発前に記す  恵美ちゃん坊主も元気でやれ

教へ子へ  教へ子よ散れ山桜此の如くに

(出撃までの経緯)

――― 父は、行男が高等師範学校に進んで教師になり平穏に暮らすことを望んでいたが、行男は一高がだめならば、同じ程度の難関であった海軍兵学校に行くつもりであった。父は「今の戦争が長引けばそれだけ命を危険にさらすことになるぞ。」と諭したが、「ぼくは教師など性に合わん。この非常時に事なかれ主義のなまぬるい生き方なんぞ我慢できんよ。」と反論した。 ―――

――― (昭和19年)9月末ごろ、搭乗員に対して一人子、妻帯者は外れろという指示がまずあり、誰も出ていかないと、続けてフィリピンで特攻をやるので志願するものは上司に願書を出すようにという話があったという。富士は願書を持って行く際に飛行長の前で関に会い、二人は笑って「いよいよしょうがないですな」と話し、二人で願書を提出したという。砂原大尉によれば、戸塚浩二大尉と関大尉との3人の間で、「特攻といっても決死隊と爆弾を抱えて突っ込んでいくのとあるが爆弾かな」という会話があり、関は手紙で知らせると言い、後で来た手紙には「その通り」とだけ書いてあったという。 ――― 

――― 関が攻撃隊指揮官として選出されることになる。その理由として、関が着任時に玉井に挨拶した際に「内地から張り切って戦地にやってきた風」のような感じを与えていたことや、何度も出撃への参加を志願していたことが強い印象として残っていたからだと、玉井は後年になって回想している。猪口の賛成を得た玉井は、就寝中の関を起こし、体当たり攻撃隊の指揮官として「白羽の矢を立てた」ことを告げた。猪口によれば、関は指名された際にその場で熟考の後「ぜひやらせて下さい」と即答したという。玉井によれば、関は「一晩考えさせて下さい」と即答を避け、翌朝になって承諾する返事をしたという。いずれにせよ、関は特攻隊指揮官の指名を受けた後に自室へ戻って遺書を書いた。 ―――

出撃の前日、

同盟通信社の記者で海軍報道班員の小野田政は、関の談話を取ろうと関の部屋に入ったが、前日の夜に隊長指名を受けた関はこの時、顔面を蒼白にして厳しい表情をしつつピストルを小野田に突きつけ、「お前はなんだ、こんなところへきてはいかん」と怒鳴った。小野田が身分氏名を明かすとピストルを引っ込めた。この行動は「異常な心的状況の中に身を置いていた」が故の「異常な行動」という推測もある。少し後、関と小野田は外に出て、マバラカット西飛行場の傍を流れるバンバン川の畔で、関は小野田に対して次のように語った。

 報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある!僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、素晴らしいだろう!?
? 関行男、マバラカット基地近くのバンバン川にて

この発言の前半部分は、元は艦上爆撃機搭乗員としてのプライドから出た不満であり。後半は妻の満里子や母のサカエのことを想起した発言で、承諾の言葉である「ぜひ、私にやらせて下さい」は、「自らの内奥に相剋する想念の全てを一瞬のうちに止揚して」発した発言という指摘もある。

関は宿舎で満里子宛およびサカエ宛の遺書をしたため、満里子の親族に対するお礼や、教官時代の教え子に対しては「教へ子は 散れ山桜 此の如くに」との辞世を残した。また、この日に日本から戻ってきたばかりの菅野にも不満や残る家族への思いを打ち明けた。

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(写真:海兵時代の関大尉、出撃直前の関大尉、関機体当たりの瞬間とも言われる、米空母セントローの炎上シーン)

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