日本文明とりわけ、神道の源泉的な構成要素には、シュメール起源の諸文明の源泉たる多神教的世界観。日本-ハワイー沖縄を結ぶ太平洋文明起源の禊祓鎮の世界観が習合した世界観がある。
主に飛鳥以降、中華アジア文明の諸要素はこの土台の上に。
主に幕末以降さらに西洋文明の諸要素が加味された。
下記は4年前に書いた記事。もう4年にもなる。
多少考え方も変わってきている面もある。
近世以降の西洋世界の興隆によって、あたかも、一神教が進んだ宗教であり、多神教は遅れた原始的宗教であるかのような説が流布された。
しかし、西洋においてさえ、ローマ帝国はキリスト教が国教になる以前の多神教世界のほうが文明圏として豊かに栄えた。ギリシアにおいてはさらに。
なぜ、一神教文明圏がこれほどまでに、興隆したのかは定かでない。
世界を緩やかに包含できる、あるいはそれぞれの文明圏に対して、決定的に不足している仕組みの在り方を付与する。
それは日本から起こる。
中心点がなく全体としてまんべんなく栄える。個の魂が根源的なものと直結してゆき、これが全体を曼荼羅のように織りなす世界。
人の魂が、時間軸と平面軸(物質世界や土地など)に支えられ、営まれる安定的な世界。より自動的な平和。
深淵さと豊穣さによってもたらされる平和。
二千年間隆盛してきた、「宗教」という概念はしだいに人の心から離れてゆく。既存の「宗教」という世界観。そういう価値意識に人が再び戻ることはないだろう。
もっと、普通になる。もっと身近になる。生活の一部になってゆく。
世界に星の数ほど存在する「宗教」。その全てが、自分の教えが最高であり、あるいは唯一絶対であると言う。
私の考え以外のものはそれよりも一段低いものであるから聞く必要はないかさもなくばそれほど重要ではないと言い、あるいは、私の考えに従わない者、他の神を祈る者は地獄に落ちるのだとも言う。
教えという言葉は、人間の魂と意識とこの世界を分断してきた。
「言葉」を超えた、より豊穣であり、深淵である、意識世界と人の魂が結ばれる新しい世界観の出現。
人は、より豊穣で深淵な存在と直接結びつく機会を得る必要がある。
これは、日本からしか生まれえない。

