本質は常に理解の向こう側にある 現代人は何事も理解したがる。
頭で理解して整理できないものは受け入れようとしない。
女性よりも男性はそれがより顕著である。
人は自分のことすら何も理解できない。
自分がどこにいるのかも知らない。
自分がなぜ今この場所に生まれ出たのか。
なぜここにいるのか。
そしてどこへ向かおうとしているのかも知らない。
自分の本質にどれほどのものが隠されているのかを知ることもできない。
しかし、人は理解しようとする。
私たちに理解できることは極めて限られている。
しかし、人は理解できないものを受け入れようとはしない。
この時点で既に自己矛盾が起こっている。
しかし、なぜかそれを認めたくはない。
神々の意思は莫大である。
それがあなたの下に降り注いでいたとしても。
あなたがそれを理解しようとした時点で閉ざされる。
現代人は人の中の小さな箱の中にうずくまっている。
私たちの中にある「理解しようとする」という「自己矛盾」を超えた時。
人は無限の創造力の泉の中に浸かっていることになる。
「解放」とはそういうことである。
我々はそれを知る必要はなく、ただ受け止めるだけで良い。
それが「自然」ということである。
(湧玉池から流れ出る水 ー 富士山浅間本宮大社)

