場をつくるということを考える
神道祭祀の構造を簡明に見れば
潔斎
迎神
献饌
祝詞奏上
神楽等歌舞音曲の奏上
撤饌
送神
直会
(「神道祭祀」真弓常忠著より)
となる。祭りの構造も同じで、祭りとは神々をお迎えし、同じ時間を共有し、喜びを分けいただくという意味がある。同時に人々が神々と一体化する時間でもある。
また、帰神法とは、神霊と人とを合一させる神道の行法だが、神人合一という言葉もある。
一方、真言密教に胎蔵界法とか金剛界法などの行法があるが、これもその手順を大雑把にみてみると、
結界
献供物
降神(仏教の仏菩薩や眷属神などを迎える)
入我我入(降臨した仏菩薩と向き合い、気を還流させて合一へと向かう)
祈願瞑想
送神
撤供物
解結界
というような手順だ。また、入我我入するまでに諸仏諸菩薩を遍満させると同時に長い心身の浄化統一のためのプロセスがある。
後に字輪観や阿字観などの瞑想が入る。
胎蔵界法や金剛界法というのは個人(行を厳修する者)を一時的に仏菩薩とすることであり、そのための観想である。
場を作るという所作は宗教の如何を問わず同じで、西洋の秘技なども変わりない。
行法の「装飾」部を剥ぎ取り、「核」となる本質部だけを見ればすべて似ている。
秘教の行法というのは実はみな同じで、本質はシンプルである。
行法が複雑で難解であるように感じるのは、それぞれの装飾部分が複雑化しているからである。そして、後人がややこしい解釈を加えるのでますます分からなくなる。
こういう秘教的行法の構造をみて、極限まで簡素化して、人間の願望成就法として紹介したものが「引き寄せの法」である。
引き寄せの法は密教の行法を簡素化して世俗化したものだ。しかし、引き寄せの法には場の形成の概念が弱く、密教の行法で言えば、自己の精神統一から入我我入までの部分だけを抜き取り極めて簡易に応用している。
神々の社を作る場合には「場」の形成という概念が重要である。
「マレビト」をお迎えする場のことである。
みそぎはらへ 二九八一五

