この神社は古くから鎮座していたらしいが、現状のような立派な社地になったのは戦後のことである。
元寇の2回目、弘安の役において、壱岐の防衛軍数百を指揮した武藤少弐資時の他、亀山天皇、後宇多天皇を及び大東亜戦争で戦死した壱岐島民千九百柱をお祭りしている。
弘安の役の際、資時率いる数百の守備軍は、十四万の元・高麗軍を迎え撃ち、玉砕した。
この神社は守備軍の根拠地のあった小山の麓に鎮座している。山頂には資時の墳墓の他、山下には、皆殺しにあった近隣住民の塚「千人塚」もある。
千人塚は島内のいたるところにあるという。
私は二箇所ほど訪れた。
島では「無理やり」という意味の言葉で「ムクリコクリ」という言葉がある。「ムクリ(モンゴル)」「コクリ(高麗)」の意味で無理くりの暴虐を尽くした元寇時の元・高麗軍のことから来ている。
壱岐神社境内には、モンゴル大使が植樹した木もあった。
写真 壱岐神社本殿・鳥居 少弐資時墳墓 千人塚案内板 千人塚)

