戦国時代の幕開け。日本史によれば、北条早雲が伊豆堀越公方を急襲したことからとされる。堀越公方とは、簡略に言えば室町幕府による関東統治の出先機関である。時は明応二年(1493年)。織田信長生誕の実に41年前のこと。
堀越公方は、伊豆韮山の守山麓にあったとされる。伊豆守山は、これに先立つことおよそ300年前。源頼朝が、1180年(治承四年)八月十五日平氏追討を祈願し挙兵した場所でもある。守山の中腹には守山八幡宮がある。頼朝挙兵の地が、下って300年後、戦国時代の幕開けの場所となるのは、実に不思議な歴史の因縁であろう。
足利茶々丸は、初代堀越公方足利政知(室町幕府六代将軍足利義教の次男)の子。嫡男であったが、素行不良で土牢に幽閉された。異母弟 潤童子が後継とされたが、延徳三年(1491年)四月父政知が死去すると、七月脱牢し、潤童子とその母円満院を殺害し、事実上の公方となる。父政知は、一般的には病死とされるが、政知の墓所宝鏡院の伝承によると、政知は茶々丸によって殺害されたという。
その後も二家老を殺害するなど、茶々丸への家臣達の信任は無に等しかった。これらの内紛を眺め、権威の弱体化を窺っていた北条早雲は、明応二年(1493年)十月、堀越公方を急襲。堀越公方は事実上壊滅し、茶々丸は逃亡する。当時の最高権威の機関が、一武将によって壊滅せられた。以降、新旧勢力の交代期に入ってゆく。戦国時代の幕開けである。
茶々丸は油川信縄(武田信縄 – 武田信玄の祖父)を頼り、甲斐に潜伏していたが、明応七年(1498)八月、早雲に捕えられ自害する。これより先、早雲の宿敵三浦義同は、茶々丸を庇護したことで、早雲からの攻撃を受ける。これからおよそ20年後の1516年、ついに三浦氏は油壺で滅亡する。茶々丸は、早雲による三浦氏攻撃の端緒となった。
茶々丸の墓は、伊豆韮山の願成就院境内にある。先日知人の誘いで、これを墓参した。歴史を解釈すればクズのような男であったかもしれぬ茶々丸。茶々丸あるところに悲劇あり。歴史に翻弄され、極めて悲劇的な人生を辿った少年であった。記述に残る歴史のみでは、茶々丸の真の素顔は伝わらぬであろう。
願成就院は、北條政子の父北條時政(鎌倉幕府初代執権)が、娘婿の源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したというが、北條氏の氏寺としての性格もあった。境内には、北條時政の墓もあるが、現在の同寺は、江戸時代に再建されたもの。元の寺院は、早雲急襲の折に壊滅された。元の寺域は、50mほど離れた場所にある。
墓参の後、願成就院跡の撮影をしようとした直前、降りしきる雨の中、手が滑りiphoneを落とし、画面のガラス部分が激しく砕かれてしまった。
「よもや茶々丸の叫びか」
同行の知人が、近くに神仏のお護摩を目の前に座って参拝できる、真言宗のお寺があるというので、その地で茶々丸の菩提を弔うことにした。お護摩の火を拝しつつ、一心に茶々丸の魂の安穏を祈念する。
帰途につき、眠っていると、深夜。一瞬目が醒めた。頭の左後ろのほうから、少年の叫びが聞こえてくる。
「わーーーーーー」
アニメのドラゴンボールの戦闘シーンの時に聞くような叫び声であった。
よもや茶々丸か。
朝起きると、不思議と気分は爽快であった。
茶々丸は何処へ。歴史の隙間に封印された魂の叫び。
この日から、過去経験した不思議な夢のことなどが思い出された。源氏による、平氏追討の折、壇ノ浦でついに平家は滅亡し、同行の安徳天皇もまた平家の命運とともに海中へと消え去った。それに関わる不思議な夢のことを思い出した。
(堀越公方)
室町幕府設立後、関東統治の目的で鎌倉府が設立される。室町幕府後期、関東方への抑えがきかなくなると、幕府と対峙するようになる。幕府は、八代将軍足利義政の異母兄足利政知を送るが、拠点鎌倉へは入ることができず、伊豆に逗留することとなる。これを堀越公方と称した。
(詳しくは、「鎌倉公方と関東管領」(グレゴリウス講座 – http://www.gregorius.jp/presentation/page_46.html)を参照されたい、)
写真1枚目より(守山八幡の階段、願成就院跡)


