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    雑司ヶ谷界隈の迷宮 稲荷の案内で「江戸村」の中心部を行く

    平成25年7月13日 神社巡り
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    早朝からバイクで、江戸散策。何処へ行こうか?

    飯倉交差点の松屋で食事。西麻布でバイクに給油すると、「早稲田」という文字が浮かぶ。まだ七時前だ。西麻布の暗い交差点にもまだ人影はまばらである。

    六本木から、日比谷方向。その辺から北上。ちょうど靖国神社の前に出た。今「みたま祭り」の準備中だ。黄色い提灯が一の鳥居から二の鳥居前の参道沿いに並んでいる。例年よりも提灯の数が多いようにも。気のせいか。

    靖国を過ぎたあたりで、突然父親のことが頭に浮かぶ。死の数年前、ふとした時に、

    「オレは幸せなんだろうか?」

    と漏らした。その乾いた言霊が頭の中を巡り、朦朧としてくる。

    旧朝鮮総連ビルの前は侵入禁止だ。警察官に止められ引き返す。迂回路をうろうろしていると、目の前にきれいな神社があった。

    「こんなところに。立派な神社だな。」

    東京大神宮。以前来たことがあるが、こんなところだったか。飯田橋駅のあたり。参拝して、トイレを借りた後、境内の飯富稲荷神社が目に入ったので参拝。

    東京大神宮は、明治天皇が、東京に伊勢神宮の遥拝施設を、ということで建設された神社である。かつて日比谷大神宮と呼ばれ、場所は旧三井銀行本店のあった場所にあった。関東大震災で焼失。現在の飯田橋に移された。戦前までは飯田橋大神宮と呼ばれていた。

    飯田橋の交差点を北へ直進。牛込神楽坂の前を通り、目白方面へ。

    箱根山通り、という通りを抜けて、学習院女子大前を通り、西早稲田という辺りに。通り沿いに出来たてのきれいな「マクドナルド」が目に入った。「クウォーターパウンダーハバネロトマト」が急に食いたくなり、ここで休憩。ハバネロトマトの辛さが物足りない。

    ハバネロトマト後。どこをどう行ったのか、あまりはっきりと憶えていない。途中、「水稲荷神社」という門柱が目に入った。

    奇妙な名前だな。そう思った。

    江戸時代に霊水が湧きだしたということで有名になった。元は平将門の追討を命じられた、藤原秀郷によって、稲荷社が勧請され、富塚稲荷とされたが、江戸時代に水が湧き、以降水稲荷と呼ばれるようになったのだと言う。江戸時代(1788年‐天明8年)、京都御所に大火があったが、その際、水稲荷が活躍したのだという。その功績を認められ、「関東稲荷総領職」を賜った、とある。

    稲荷としては非常に大きな敷地の神社。都内でも最も大きな稲荷社のひとつではないだろうか。境内一帯は、まるで時間が止まったようにひっそりとしている。境内地には、池のある、鬱蒼とした公園が隣接している。これが湧き水の霊水なのか。公園内を歩いていたら、黒トカゲが横切った。

    西早稲田付近には大量の塚があるらしい。水稲荷付近も富塚と呼ばれ塚山であったらしい。

    ここは現代ではない。昭和初期か、大正か。分からないが完全に時間が止まっている。外界とは異空間である。戦前にいた人間の匂いがまだ、ほとんど動かないまま付近に滞留している。

    参拝して鳥居を抜けると、大きな黒アゲハ蝶が、はらはらと、何の音もなく、ゆっくりと舞っていた。ふと振り返ると、本殿両脇にある大きなキツネさんの石像に、中年の女性がよじ登り、赤い前掛けを着けていた。

    「おキツネさん。赤い前掛けがお気に入りなんだね。」

    Googleで検索してみると、江戸時代に平将門に由来する神社が建設されたとか。

    1)鳥越神社・・・将門の首がこの地を飛び越えたという伝説。
    2)兜神社・・・・俵藤太が将門の兜を埋めたという伝説。
    3)首塚・・・・・将門の首塚。
    4)神田明神・・・将門の首が祀られている。
    5)筑土八幡神社・この神社の隣の津久戸明神が将門の首を祀る。
    6)水稲荷神社・・将門調伏のための神社
    7)鎧神社・・・・将門の鎧(胴衣)を祀っている
    8)鬼王神社・・・幼い将門を祀る

    将門を追討した藤原秀郷が勧請した水稲荷(富塚稲荷)は、やはり将門所縁の神社であるようだ。

    水稲荷の付近に筑土という場所を通った気がした。近くにあるようだ。

    ——————————————
    当神社は嵯峨天皇の時代(809年 – 823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であるといわれている。その後、慈覚大師が東国へ来た際に祠を立て(850年前後)、伝教大師の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという。その後、文明年間(1469年 – 1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、この地の鎮守とした。上杉朝興の屋敷付近にあったという説もある。
    以上wiki
    ——————————————

    水稲荷を過ぎ、再び目白のあたりをうろつく。南池袋付近に達する。道沿いに「大鳥神社参道」と書かれた門が見えたので、寄ってみようと、門を通り抜けた。しかし、途中で道が分からなくなり、気づいたら鬼子母神の前へ。

    雑司ヶ谷の鬼子母神であった。室町時代に目白台の付近で、井戸から鬼子母神像が発見され、お祀りされたことを始めとする。鬼子母神堂参拝の後、境内に武芳稲荷という稲荷社があるので、参拝。

    西早稲田から雑司ヶ谷、南池袋一帯は、氏神が稲荷らしい。東京大神宮で稲荷を参拝した縁なのか。今日は稲荷ばかりを参拝している。稲荷の日だ。

    水稲荷を参拝してから、この地域にとり憑かれた。

    西早稲田、目白、南池袋、落合付近を囲む一帯から数時間出られなくなった。同じところを何回も通り過ぎる。非常に疲れたので、もう帰ろうと思うのだが、またもとの場所に戻ってしまう。くたくたになりながら、ようやく渋谷についたのは、午後2時過ぎであった。

    帰宅後地図で確認したところ、迷宮のように取り憑かれた地域は、水稲荷から東西南北に2km以内の場所であった。この地域には神社、仏閣が多いが、ほとんどは江戸時代以前から存在している。恐らく、徳川家康が江戸に入府以前には、この付近が「江戸村」の中心だったのかもしれない。ここより南側は、いくつもの川が流れる広大な湿地帯か、あるいは海だったはずである。

    南池袋付近も、水稲荷の境内で感じたような時間の滞留した場所だ。ひと月程前に行った、愛知県の岡崎市付近を走っているような気分になる。風景が似ているのである。奇妙な場所であった。この付近を走っていると、自分がどこにいるのか分からなくなる。いつの時代にいるのかも不明になる。

    朦朧となりながら、「迷宮」をぐるぐると回り続けた。暑さも関係していたかもしれない。

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