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一神教の成立起源に関するごく簡単なメモ
今調査中ではあるが、一神教、すなはち、ユダヤ・キリスト・イスラムの成立の起源をたどると、まず民族の分岐がある。
「アブラハムの宗教」と言う言葉があるが、ユダヤ人とアラビア人の祖の父親は同一でアブラハムという人物。
彼は当時シュメールに住んでいた。
シュメールは多神教文明で、都市によってそれぞれ主祭神を決めて信仰していた。
それがある時、ある都市において、特定の神を最高神と位置付けた。
これが唯一神へと繋がり、やがて一神教が生まれる起源になったと考えられる。
大本を辿ると、一神教の起源とは、かなり「政治的」な理由に過ぎないようである。都市国家同士の争いのようなものが起源である可能性が極めて高い。
ユダヤ・キリスト・イスラム共に、モーセの十戒における言葉
『わたしのほかに神があってはならない』
が、一神教成立の起源とされるのかもしれないが、さらにたどればそれは政治的な理由によってそうなったんだということが言えるようである。
(写真:アブラハムの墓 wikiより)
人が何かを理解したり納得したりするには大きく二つのパターンがあるように思える。 まず一つには 真実を突きつけられて理解し…
キリスト教信者の悲哀
全世界にキリスト教信者は、二十億人ほどいるらしい。
発信地であるユダヤ・ヨーロッパ文明圏及び、ピューリタンの新天地で信仰する西洋人達は別として。
世界中で植民地帝国主義時代に侵略され自らの文明と領地と自らの尊厳を奪われた地域の多くにキリスト教信者がいる。
南米、中南米、フィリピン、朝鮮半島などは代表的であろう。
彼らはなぜ自らの土地とルーツに根差した神々や祖霊や自然霊を敬うことをしないのだろうか。完全に忘れてしまっているのが大半に思える。
これは厳然たる事実だが、そういう地域の大半は、先進国にはなれず、治安が不安定で、価値観の混沌とした社会の中で、極端な貧困に喘ぐ者が人口の大半を占める厳しい社会である。
自らの起源に全く目を向けず、「別の土地の神」を信じるということ。
別にそれを信仰しても構わない。しかし同時に自らの起源に根差した神々や祖霊に目を向けるべきだろう。そういう心を全く失った地域は「永遠に」真の発展と幸運の恩恵を受けることはないと私は確信する。
それは「支配者」の望みでもあるのだろうか。
その土地の奥深くに鎮まり、完全に虐げられ、深い眠りについているこうした神々や祖霊達が、そこに住む人間に全く顧みられることのない社会。それが世界の多くの地域に存在するのが現状である。
私はキリスト教を否定するものではない。
それはそれを信仰する必然性のある地域や民族において信仰されるべきであり、それはまたそれらの人々にとって重要なことであるだろう。
日本文明が、土地に根差す神々や祖霊や自然神を祀ってきたことは我々にとって極めて重要な意味を持つ。
他のほとんどの地域にはそのような習慣が今やないからである。
世界の不安定化とこのような問題は密接に関わっている。
文明の一極化。単一化が進んでいる。しかし、現実にはそれに全く噛み合わない地域においてもなかば強引にそれが進んでいることからくる矛盾や魂の亀裂が進んでいる。
日本人は、そういうことまで捨てて「世界標準」の波にのまれ、それがいいんだ。みんな一緒だから、という感覚に陥って自らの文明を捨ててしまったならば、もはやこの国になんのポテンシャルもプライオリティーもなくなるだろう。
世界と同じがいい。なんていうのは「愚民の思考」に過ぎない。
日本がここまでこれた最大の原因は、とりあえずこれまでは、決定的に「愚民」に導かれなかったということであろう。
世界の全ての人々は、自らの土地と歴史に根差した、先霊や神々や自然霊を敬うことを始めるべきではないか。
しかし、己の信仰を捨てる必要はない。キリストの神を信じても構わない。しかし、それだけではあまりにも「不遇」である。
国家・国境の曖昧さとはここにある。文明圏・文化圏の設定を重視せよとはそういう意味である。
(写真:エルサレム聖墳墓協会 出典:https://plaza.rakuten.co.jp/mana9/diary/201711240001/)
