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豊臣秀吉とインカ帝国最後の皇帝アタワルパ バテレン追放令の真実
信長から秀吉の時代、スペイン・ポルトガル人宣教師が入国し、キリスト教を布教していたが、宣教師は本国にこのように報告している。
「日本という国は、貧しいが、人々は戦う訓練に熱心で勇敢であるから、この国を侵略するのは止めたが良い。」
スペイン・ポルトガルによる南米・中南米における南米人の大虐殺・文明の抹殺。北米におけるイギリス人による北米人の大虐殺と略奪。そして、アフリカ大陸における奴隷貿易のための黒人狩り。
こういう歴史を見ていると、そのあまりの凄まじさに、ナチスのユダヤ人虐殺はまだいいほうだと思えるほどである。(事実そうだと言っても過言ではない)
秀吉の時代にはポルトガル人・スペイン人によって日本人がさらわれ、東南アジアやインド等で売買されていたらしい。秀吉はこの事実を知ると激怒し、結果これがバテレン追放令につながってゆく。
「あなたたちは、キリスト教の布教といいながら最終的に日本を奪うつもりであろう。」
この認識は家康にも伝わり、禁教令となってゆく。
モンテスキューという歴史の教科書に出てくるほどのフランスの思想家、哲学者がいる。彼は現代社会の基礎ともなっている三権分立論を世に現した人である。
彼の主著「法の精神」という書籍に次のような記述がある。
「現に問題となっている連中は、足の先から頭まで真黒である。そして、彼らは、同情してやるのもほとんど不可能なほどぺしゃんこの鼻の持ち主である。極めて英明なる存在である神が、こんなにも真黒な肉体のうちに、魂を、それも善良なる魂を宿らせた、という考えに同調することはできない。人間性の本質を形成するものは色であるという考え方は非常に自然である。」
南米のある領主は、キリスト教への改宗を強要された際、
「キリスト教を信仰すれば天国に行けると言いますが、天国に行って再び、キリスト教徒に出会うくらいなら私は地獄に行くことを選ぶ」
と言ったという。
ラス・サカスというキリスト教宣教師は、南米における、そのあまりの残虐非道な様に耐えられず、告発文を残している。それは、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』という書籍として今も残っている。
それによれば、およそ40年の間に約1500万人の南米・中南米人がおもちゃ同然に虐殺されたのだという。
インカ帝国は高度な文明を所有していたが、人を疑うということを知らず、金にも執着心がなかった。善良なる文明の人々はなぶり殺しにされ、文明もろとも消えていったのである。
善良であっても、悪意と強欲と狂気に備えることを怠れば、その善良さが仇となる。
南米における文明消失の歴史に学ぶべき点は多い。
(写真:アタワルパと豊臣秀吉)
人はどんなことで心から満足できるか。それはどういう手法・方法をこうじれば良いのか。 自分自身のことも含めてそういうことを…
隠岐の話
今年は隠岐に行こうと思う。
ある書籍を読んでいたらこんなことが書かれてあった。
以下まとめ。
——
皇族は死ぬまでに必ず一回は隠岐に行くものだという。きまりではないが、そうなっているのだと。
隠岐は、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が流されたが、実は水が豊富で食物も潤沢であるから生活には困らない。島の人々も天皇を非常に大切に扱っており、その伝統は今でも非常に根強く残っている。
この島は今にいたるまで、人から遠ざけられ、「隠された」島であり続けている。神々の手配であろうか。(最近、ユネスコの世界ジオパークに指定されてそれが崩れつつあるのだが)
島では、町の寄り合いで基金をつのるが 、それとは別に神社をお守りするための基金を別途集める習慣が今でもある。
隠岐は地質学的に日本ではない。西日本は白山の火山帯に属しているが、隠岐は朝鮮半島の白頭山の火山帯に属しており、大陸の突端で、地震がほとんどない。岩盤も飛騨(飛騨片麻岩)に続く古さ(隠岐片麻岩)だという。地質学的には日本列島と成り立ちが違う。
隠岐の語源は、「御木」。アマテラスは三度ほど地上に降りているが、そのうちの一つが隠岐であり、その際、ある木を見て、これは立派な木だということで、御木と名付けた。これが八百杉(やおすぎ)と言われており、樹齢2000年である。
隠岐は島前、島後があるが、島後は昔から名前がない。ところがアイヌの伝承では、島後を古来より「オノコロ島」と呼んでいたという。イザナギ・イザナミが降り立った際、天御柱をオノコロ島に建てるが、それは隠岐だったのかもしれない。この御柱と御木は同意なのではないかと。(一般的には、オノコロ島は淡路に近い、瀬戸内の小さな島(沼島)ということになっているのだが)
籠神社の神職曰く、この神社の神様は、伊勢と隠岐を行ったり来たりしております。と言ったという。
隠岐には、水若酢神社という一宮があるが、それより格式が高い神社が、伊勢命神社。ローソク岩のある久見というところにある。地元では、伊勢命神社を内宮。水若酢神社を外宮と言っている。
また隠岐に国分寺があり、その裏に大満寺山というものがあるが、高野山では、ここを裏高野と呼んでいるという。
布施というところには、大山神社という神社があるが、ここの山祭りは、日本最古の山祭りと言われている。榊の大木を根っこから引き抜いて、集落中を引きずり回し、神社に上げて祭事を行うものだという。(著者は、アマテラスの岩戸隠れに関わるものではないかと)
(写真 http://blog.hangame.co.jp/tabibito_/article/36266839
https://blog.goo.ne.jp/familyplot1976/e/446c113eec8058c221e5bd7d42860cf9 )
