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平成の御代も三十一年を以て終わることとなった。 新たな天皇が即位し、元号が変われば時代の空気、雰囲気、起こるべき出来事に…
みそぎはらへ 二九十二十二 分霊(わけみたま)について
都内のあちこちにお稲荷さんがある。江戸時代にお稲荷さんのブームが起こって、江戸の市中いたるところにお稲荷さんの祠ができたからだ。
今でもその名残が神田あたりを歩くと残っている。歩道をあるくと歩道沿いに周辺地図を見かけることがあるが、あの地図の中に11-12社ほどの稲荷社を見つけたことがある。(写真2枚目)
全国の稲荷社の総本山は伏見稲荷だと言われているが、これらのお稲荷さんの中には伏見稲荷から勧請されたものもあるだろう。
日本には「御分霊」という考え方がある。これはある有力な神社から御霊を分けてもらうというもので、これは世界でも日本以外には例のないものだと言う。
インドでは輪廻転生という思想があるが、インド思想における魂は、一つの魂がさまざまな人体に宿って、ぐるぐると彷徨うということだろうか。
多くの人は人間の魂は一つの魂というのがあって、これが生まれ変わったり、幽霊となって彷徨ったり、人霊や神霊が神社にお祀りされればそこに宿るものだと考えているだろう。
しかし、私はそう思わない。魂というのは、この分霊という考え方に近いと思っている。
よくテレビに出てくる霊能者みたいな人が、自分は何々の生まれ変わりだとか、あなたは誰それの生まれ変わりだとかいうのがある。
仮にそれが本当だとして、その場合でも、例えばマリーアントワネットの魂が一つ存在していて、それが誰かとしてそのままそっくり生まれ変わるというのではない。
過去におけるある魂があるとしたら、その魂の一部とか部分とかあるいは分身のような形で人に宿るのである。
魂というものを、ぶよぶよとした物体に例えるなら、人が一人産まれる時、それに関わる魂の親玉のようなものがあって、それがブルンとちぎれるように落ちて行って、それがその人の魂となって宿るのである。
人類の歴史始まっていらい。人口が増え続けているが、魂の数が一定なら人口も一定か、ある程度以上には増えないのが道理であろう。
恐らく、最近科学の分野でよく言われる「ビックバン」に近いものが人間の魂にもあるのだと思われる。
始めに、人の魂の原型のようなものが人に宿る。
中には、神霊のような高度な存在が人に宿った。
いくつものさまざまな世界の魂の原型が降臨したり、どこからかやってきては人に宿ったのである。神々の時代から、王の時代になり、武士の時代がきて、商人や資本家の時代になり、民衆の時代になって、今は個人の時代への移行期であろう。
魂はこのようにして、拡散していったものと思われる。
そういう意味でいうと、時代が下れば下るほどに、魂の「濃度」は薄まっているということは言えるかもしれない。人によって濃度は違うのかもしれないが。
しかし、それぞれの「わけみたま」は、やり方次第で大きくも育ってゆくのである。まあそれはさておき。
神道の「分霊」という考え方の中に思わず人と魂の本質を見ることができる。
(写真 江戸時代のお稲荷さんと東京神田須田町界隈の地図)
手を緩めずに進んでゆく
心あるものは手を緩めずに進む。
前に進んで行けるところまで行く。
手を緩めた時が、魂の死だ。
そういうことに興味のない者に興味が湧かないのである。
適当に生きている時間はないし、そういう時代でもない。後悔のないように。
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51863914.html
