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欧州人が感じた日本と韓国
先の文章を書いたのちに思い出したことがある。
日本の神道を絶賛するあるフランス人が書いた書籍に、このような記述があった。
「西洋人の私として感じるのは、日本よりも韓国の方が分かりやすい。違和感が少ない。正直日本のことは理解できないことが多い。」
日本を絶賛している人がこのように言っているということ。
また私の知人で北欧系の人と話をしていた時も、
「韓国は日本に比べればヨーロッパみたいだ」
と言っていたのを思い出した。
これは本日書いた文章の補足
朝鮮半島と神道と素戔嗚のこと
釜山に、秀吉の朝鮮出兵時の朝鮮将兵を祀る忠烈祠がある。本殿を少し下ったところには将兵に混じって戦った商人だか農民だか町人だかを祀るお堂もある。
ここはデートスポットのようになっているらしく、若い二人連れが多い。学生の修学旅行のコースにもなっているらしく、大声でまくしたてる女性の案内に連れられている学生らしき団体の姿も目にする。
私は本殿などで鎮魂の参拝をしていた。もちろん日本式にだ。
ここへ来るまでは、この地には多くの参拝者がいて、朝鮮式の祈りを捧げているものと思った。しかし、祈りを捧げているものは私だけである。奇妙であった。
みな、本堂やら他の建物を興味深そうに、解説の案内版を見て、本堂内を覗き込みはするものの、誰も祈りを捧げるものがいない。なんだか拍子抜けするほどであり、寂しげな気さえする。定期的に祭儀が行われているらしくそういう時は違うんだろうけれども。
日本では地方の護国神社には人が少ないが、靖国神社には多くの参拝者がいて、みな祈りを捧げている。豊臣秀吉ゆかりの、名古屋の豊国神社にも参拝者がいる。しかし、ここで祈りを捧げるものはいないのか。
祭儀の時以外の、普段の姿こそが真の姿を現す。
こんなものかと。こういうものを見るにつけ、彼らの「アイデンティティー」の希薄さを感じるのである。こんな場所に来ても、なぜか他人行儀な空気感が漂う。
どこを歩いても、人々が土地を背負っている感覚がない。その土地に人の魂が根付いているという感覚が伝わってこない。
この空気感は、奇妙なことに、どちらかというと東部ヨーロッパ地域のどこかの国にいるような感覚に近い。もっとも欧米人にはキリスト教やそれ以前の多神教文明の痕跡があるけれども。
どんな土地へ行っても、ある個人がなにがしかと繋がっているということはあるのだろう。しかし、ここには人と土地と自然と先祖の魂やそれを支える神々の繋がっている気配というものはない。それがなぜか、欧州の東部地域を巡った時の感覚を思い出す。
上手く言えないが。何か濃密さが足りない。薄く、はかない感覚。その寂しさが旅行者としては何か旅愁のようなものを誘うということはあるかもしれないが。
同じ欧州でもイタリア、フランスなどはまた全く違う。西洋文明の原点に近い地域だからだろう。
韓国は日本文明の源という感覚は全くなく、むしろその辺境の匂いすら薄い、ということかもしれない。
話を戻す。
素戔嗚命が朝鮮半島から来たとか、天皇家や神道が朝鮮由来だとかの書籍をよく目にするし、近年ではかなり多くの日本人がそう考えているような気がする。
半島の南東部に前方後円墳があるから、これは半島由来だとか。
ここ数年、さまざまな書籍が出て、戦後隆盛を極めた、日本古代史の「朝鮮由来史観」を否定するものが出ている。私も日本国を自分自身で足を運び、各地を巡る中で、日本古代史の朝鮮由来史観はあり得ないと感じ、またそのように書いてもきた。
やはりそう思う。
素戔嗚を始め、日本の出雲あるいは北九州地方を拠点とする部族は、古代において、日本海を挟んだ両端に居住しており、交通があった。どちらかと言えば、朝鮮由来ではなく、日本由来である。
前方後円墳が半島南東部にある。だから古代氏族や天皇家の多くは半島由来だ。ではなく、半島南東部にも古代日本人の拠点があったからそこに前方後円墳があった。
前方後円墳が半島由来ならば、ソウルやピョンヤンあたりにも、朝鮮の古代王族の墳墓として前方後円墳がなければならない。それならば、由来説は有力説と言えるだろう。
三韓は日本由来かもしれない。出雲族の分岐種族かもしれない。そのようにすら感じる。
当時の朝鮮半島は、北半分は当時の中国領、漢だか唐だかの。三韓は半島の南半分にしか勢力圏がなかった。ちょうど今の韓国と同じ領域に相当するわけだが。
神道が半島由来なら、鳥居の一本でも残っているべきだろう。日本統治が終わった時、そのようなものは全て破壊されたんだろけれど。それが、彼ら由来のものならば、完全に破壊する必要はない。一本くらいは残っていて不思議ではない。朝鮮出兵時に釜山で作った毛利輝元の石垣は残っているくらいなのだから。鳥居は何故ないのか。
もともとないから、彼らの魂に何も響かない。全て壊しても何も感じない。そういうことだ。魂の奥深くにでも、無意識にでも、それが根付いていれば必ず何かを残すはず。
日本が拠点とした半島南部は、白村江の戦いをもって終了し、秀吉の時代に侵入したが、実質明治期まで疎遠となる。
白村江から明治期までの期間に朝鮮半島に起こったことを知れば、この地域が今現在どういう場所なのかが明らかになるだろう。この間に日本文明の痕跡もそれを受け継ぐ者の魂もほぼ消失した。
明治以降30数年間日本が統治したが日本文明がこの地に根付くことはほとんどなかった。
忠烈祠の入口にある忠烈の銅像の兜の天辺に天の逆鉾のようなものが付いていたのだがそれが唯一繋がりを感じたものかもしれない。
対馬が日本文明の境界線であることは明白であり、古事記にも大八洲の一島として数えられていることを思えば、この土地は日本人にとって絶対に守っていかなければならない場所であることは言うまでもない。
我々日本人はもっと日本を大切に思う心を持たねばならない。
みそぎはらへ 二九十一十九 対馬 海沿いや小島に建つ無数の鳥居
車で走っていると、入り組んだ湾内のいたるところに丸い小島が浮かんでおり、大概は鳥居が建っている。
小島ではないが鳥居が海に面しており、船でないといけないような神社もある。
神社名も祭神も何もわからない。
しかし人が近寄れない分、神聖さを感じる。
1枚目の写真の鳥居はかなり大きなもの(というか普通のサイズ)。両脇の灯篭が大きいので大きさの尺度がわかりづらい。対馬壱岐の神社は灯篭が非常に大きなものがある。
壱岐にある神社の灯篭は特にそうで大概は鳥居くらいの高さである。
壱岐対馬を歩いていると日本の原風景を見る思い。
神々と人間と自然とが仲良く共存する風景。何も意図しない自然体。土地を守護し静かに見守る神々。
日本中巡っているが、ここまで変わらぬ風景を保っている場所にはあまり出くわさない。
まさに手付かずのままの日本がそこにはある。
