国連の創設は、1944年8月21日から10月7日までの期間、アメリカ合衆国ワシントン郊外にあるダンバートンオークス邸にて開催された、ダンバートンオークス会議において国連憲章原案が定められたことから始まる。
参加者は、連合国(United Nations)、アメリカ、イギリス、ソ連の三ヶ国、及び後半で中国(中華民国)が加わった。
この時点で、ナチスドイツ、日本とも敗戦は濃厚であったがいまだ交戦中であった。ナチスドイツは連合軍のノルマンディ上陸作戦に敗退、フランスを奪われ、日本はマリアナ沖海戦に敗れて、海軍の主力艦艇をほぼ失った頃である。
国際連合の英語表記は、United Nationsである。これは、第二次世界大戦当時、日独伊と戦っていた米英ソの主要三ヶ国からなる勢力をUnited Nations (連合国)と総称していたことからきている。この軍事同盟を、最初に United Nationsとすべきと提唱したのは、アメリカ合衆国のルーズベルトであり、日本が、パールハーバーをー奇襲した直後の事であった。
国際連合の名称を決定する際、英、ソは、それぞれ別の呼称を提案したが、結局アメリカ合衆国が提唱した、United Nations (連合国)と決められた。現在、国連の呼称は英米以外では、独伊は、連合国を直訳、台湾、中国では、「聯合國/联合国」、仏、西では、連合国に、「機構」又は「組織」を意味する言葉を追加して呼んでいる。韓国では当初、「國際聯合(국제연합)」と呼んでいたようであるが、近年ではUNと表記することが多いようである。
United Nations (連合国)を国際連合と訳したのは、当時の外務省官僚であったようである。後年になり、ある外務省官僚はこの訳語について、「実体にそぐわず、誤解を産む訳語である」と述懐している。簡単に言うと、国連とは、第二次世界大戦後の戦勝国側の決めた秩序を保持することを最大の目標とする組織として設立されたということである。日本人は、この訳語のおかげで、国連があたかも、世界の平和を目指す理想の組織であるかのような、誤解、「国連神話」を生み出すきっかけとなった。国連の生みの親は、当時自らを「世界の警察官」と呼び、またそう任じていたルーズベルト、チャーチル、スターリンの3名である。
日本は近年、国連において、アメリカに次ぐ莫大な資金を提供しているが、発言力は極めて弱く、存在感も薄い。また、提供資金に応じた国連職員の日本人比率は、これまた極めて低く、他国の国連職員が、気にするほどであるという。日本の発言力が低いことの最大の理由は、日本が国連安保理常任理事国でないことが最大の理由であるが、それに関連する問題として「国連憲章」内に規定されている「敵国条項」がある。
この条項から、国連という組織が、本来どのような組織であるかが明確となる。
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国連憲章 第53条
1. 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極(とりきめ)または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。
2. 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。
国連憲章 第107条
この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。
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ちょっと表現が難解なので分かりづらい(これも訳が分かりにくい)が、要するに第二次世界大戦の連合国の敵国に対しては、軍事行動を無許可、無制限に行うことを容認する内容である。この条文中何度も出てくる「敵国」とは、具体的には、日本、イタリア、ドイツ、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランドの7カ国である。オーストリアは、ドイツに、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国は、日本に併合されていたため、この中には含まれない。
戦後国連加盟国が増加するに従い、新規加盟国の多くは、連合国の旧植民地であった国々であり、それによって国連の内実は、随分変化してきてはいるようである。1995年の国連総会で、「旧敵国条項の削除を検討する報告書承認」決議案が採択され、「国連憲章第53条、77条、107条における「敵国」条項は死文化している」とされた。しかし、国連安保理常任理事国が、未だ第二次世界大戦の戦勝主要国のみで構成(中国、フランスは、第二次世界大戦の連合国戦勝には貢献していないが、当時の米英の戦略的思惑によって、常任理事国入りしたとされている。)され、拒否権という、国連の中において絶対的な権限を持っている現状を見れば、国連の本質的内実に、戦後以降今日にいたるまで大きな変化はないと考えて良いであろう。
しかも、決議で採択されたはずの条項の削除はいまだ行われないままである。本来ならば、1947年の、サンフランシスコ講和条約における時点で削除されていなければならない条項である。また、この条項が削除されない現状のまま日本が安保理常任理事国入りをすることは矛盾を伴うだろう。
1942年6月、ミッドウェイにおいて、日本海軍が敗退し、主戦力を失ったその年の10月。早くも、戦後の国際機構に関する議論と検討が、アメリカ合衆国政府部内に起こっていた。国務長官のコーデルハルは、最終的に「The Charter of the United Nations」と名付けこれを完成させた。この草案が、冒頭で記載したダンバートンオークス会議を経て、国連憲章原案となるのである。コーデルハルとは、日本を戦争へひきづり込むための最後通告文書「ハルノート」の起草者でもある。日本国憲法が、国連憲章を基に作文されたと言われているが、戦後日本は「ハルの手の平の上で転がされているようなもの」なのかもしれない。
1945年6月26日、五十カ国が国連憲章に調印して正式に国連(連合国)は組織された。そして、そのわずか1ヶ月後の1945年8月6日に広島、9日には長崎に原爆が投下されたのである。
(写真 : ヤルタ会談 wikiより)

