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    キリスト教の神髄 ―『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』(Pauro Coelho)を読んで―

    平成27年12月5日 文明論
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    「マリア様、私に信仰をお戻しください。あなたの道具としてお仕えさせてください。」 『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』(パウロコエーリョ) の中で、主人公が「本当の自分」を取り戻し、魂の全てを捧げるほどに、愛する存在を受け入れた瞬間の心のささやきである。

    キリスト教の神髄は「明け渡し」にある。

    キリストの愛とは、「明け渡し」のことであり、自らの魂を100%、神の意思に委ねることである。自らの魂を神に明け渡すことによって、自らの魂をより崇高なものへ近づけ、そこに「本当の自分」を見出そうとする「教え」である。

    『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』は、キリスト教信者であり、カトリック教徒である、自らのバックボーンに基づき、人を自らの魂の中心へといざなう「手法」を、震えるのほどの全身全霊を持って著した快挙である。古今東西の小説の中でこれほどまでに、真理への導きを、あからさまに描いた作品は極めて少ないし、私は類似のものを知らない。

    この作品を「宗教臭」が強すぎると忌避するものもいるだろう。しかし、真実や真理の探究に、宗教も宗教臭さも、その正反対も関係ない。常識や通説に動かされるだけの人間には永久に真実も真理も、自らの顔を見せることはないだろう。 「真理」にとって、宗教だろうと、そうじゃなかろうとそれは何の関係もない。

    あるいはこの作品は、キリスト教信者ではない、私たちには、荷が「重すぎる」かもしれない。

    特に日本人には、キリスト教信仰者特有の、「暑苦しさ」を感じる者も多いだろう。あるいは、「愛」と「肉欲愛」が混同したような、西洋人気質というか、しつこさや圧迫感を感じる者もいるかもしれない。

    作者はキリスト教信者でありカトリック教徒であるが、「真理」や「真実」は全ての人間の目の前に「置かれている」と考えている。彼は自らの信仰の視点から、人が「真理」に到達するプロセスの、ひとつの「提言」を試みている。

    現代インド最高の聖者ラマナマハリシは「本当の自分を見出す」方法には大きく分けて2つあると言った。

    「真我探求」
    「明け渡し」

    しかし、明け渡しは、24時間、100%、神に自らの魂を捧げ続けなくてはならない。1秒、1ミリ、1グラムの漏れも許されない。それは非常に過酷であり、困難なことだとも語っている。彼自身は、「真我探求」のほうが良いだろうと言っている。

    しかし、ラマナは男性であり、女性ならばむしろ「明け渡し」こそ受け入れやすいものなのかもしれない。 一神教は物理的にシンプルであるがゆえに、エネルギーを集中しやすい。プラスマイナスに関わらず、その集中力が爆発的な力を生むこともある。

    「明け渡し」は信仰における女性性を表し、インド的あるいは、東洋的な「真我探求」の道は、宗教の男性的なアプローチを表している。

    主人公の相手は、こう語る。

    「仏教徒もヒンズー教徒も回教徒もユダヤ教徒も、みんな正しい。信仰の道に心から従う時、その人は神と一体となり、奇蹟を行うことができるのだ。しかし、それを知るだけでは十分ではなかった。自分で選択しなければならないのだ。僕はカトリックの教会を選んだ。なぜなら、僕はカトリックの中で育ち、僕の子供時代に、カトリックの神秘的な話が強く印象づけられていたからだ。もし、ユダヤ人に生まれていたら、僕はユダヤ教を選んだだろう。神はみな同じなのだ。たとえ何百という名前を持っているとしても、神を何という名で呼ぶかは、僕たちが選ぶことなのだ。」

    日本には、神がまず一つあり、人々が住む土地の精霊を祀り、先祖に関わる霊魂を祀る。

    神はいかようでも構わない。

    世界に欠けているのは、この三位一体なのだと、日本人として確信する必要がある。

    世界の宗教には、神と自分との関わり。この一本線しかない。

    しかし、日本人には、神と人、土地の精霊と人、先祖霊と人。この三つの線がある。 ヨーロッパに行った時、常に感じたこと。

    「何かが欠けている」 この感覚はずっと私の心の中にあり続けた。

    我々日本人もパウロのような確信と信念を持って、自らの文明を見つめていかなくてはならない。

    日本の神は「ただそこに在る」のであり、手を合わす私たちは、ただそれを感じるだけである。

    日本人に不思議なほど礼節と幸運があるのは、言葉を超越して、「神」を感じる習慣があり、それに従う素直さが、「無意識」のうちに宿されているからである。 私はこう考えている。

    日本人という民族が、特に優れているわけではない。 日本人は、神と土地の精霊と先祖霊に守られた生活をしているのである。 それは、無意識的なものであるがゆえに、尊くもあるが、脆くもある。

    日本人が、この土地と、神の意思とに見放された時、全ての特質を失うだろう。

    失った時に気づいても遅いのである。

    私たちはこのことを忘れてはならない。

    一神教の人には、驚くべき信念と確信があり、それによって、人は真理に到達することも可能だ。

    しかし、今人間は、真理から乖離し、上辺の宗教的教義や歴史的な抑圧、一神教世界においては、それ特有の「不寛容」から人類の在り方が揺らぎ、方向性を見失い、一神教社会それ自身では、それ自身の問題を解決する方法も手段も失いつつある。

    道は示されるだろう。

    作品にはこうある。

    「霊的な生活をするために、修道院に入ったり、断食したり、禁欲したり、純潔の誓いをたてたりする必要はありません。ただ神を信仰し、受け入れればいいのです。すると、私たちはそれぞれに、神の道の一部となります。私たちは神の奇蹟の道具となるのです。」

    日本人ならば、こうも言えるだろう。

    「ただ神を感じ、その風を、その空気を、自らの体の中に受け入れればいいのです」と。

    (写真:作品中の主な舞台、SaintSavin サンサヴァンの教会)

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