千葉県では「父」「母」が差別用語だそうだ。千葉県では学校で教員が「父」「母」と言ってはいけないそうだ。片親とか色々あるからだろう。あるいはジェンダーとかなんとか。
保護者の方 と言わねばならないらしい
ここまでくるとこういうことを決めてる人間自体が異常者集団のように思える、一種のパラノイアだ。リベラリズムの到達点がここという感じがしている。
リベラリストというのは脳みそだけで世の中を見ることしかできない。「心」とか「情緒」とか「魂」というものが欠落している。唯物主義。見えるものだけを整えればよいという考え。
彼らには薄っぺらい「平等」というワードだけが脳みそに焼き付いている。コンピュータ制御のロボットのように。柔軟ではなくひ弱な精神(魂)。こういうものを優しさとは言えない。もはや「ファシズム」。
人が生まれてきた環境というものには、「課題」というものがあると思う。人それぞれにクリアしなければならない、あるいは学ぶ必要のある何かがあるからそういう環境に生まれ育つ。
現代の「リベラリズム」というのは、それを完全に否定し、物理的平等を「強制」するのである。その先に何か幸福が、人々の幸せや満足、あるいは人間の進歩というものがあるのだろうか。
確信をもって言う。
「何もない。」
こういうことをやればやるほど陰湿ないじめとかが横行するだろう。
人がもって生まれてきた環境や境遇。それは他人には立ち入ることができないものであるが、それを人それぞれが見つめる意識は大切なことだ。
血の通わない「平等ファシズム」の世界。
リベラリズムの究極は、
「人と関わることは罪であり、罰となる」
ということになるかと思う。
リベラリズムとはコミュニケーションの否定ということだ。
しかし、

