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大嘗祭に関わる御発言問題と憲法
日本が第二次世界大戦で敗戦した際、当時の日本の政治家達は、大日本帝国憲法の多少の改変だけで何の問題もないという認識だったし、事実そうだ。
それを進駐軍が「NO」と言って、自分達のスタッフが2週間程で書き上げた英文「憲法?」を突き出して、これを参考にして作成せよと。
現実はほぼそのままの和訳にすぎない。要するに西洋文明の強制であり、これは実際には国際法にも違反する。だから当時のGHQは巧妙にこの問題を進めたのである。後ろ指さされないように。
あのナチスドイツに対してすら、憲法の強要はしていない。彼等の戦後憲法はまだ改正されてはいないが、占領規定という扱いである。
米国は、フィリピンやハワイに対して自らの憲法を強要し、最終的に自国領化することに成功しているが、日本に対しても同じ手法が採用されたのである。
この問題は、そういうこととも密接に関係している。
占領軍による占領期間が終了して、とりあえず独立した際に、この問題を明確にして、「占領規定」にすぎない、日本国憲法とやらを即座に廃棄して、自らの手による憲法を復帰すべきであったのに、これは吉田茂の大罪だと私は思っている。何が「戦後の名宰相」なものか。
日本文明という観点からすればあの男は大罪人であると思っている。
あの頃ならまだそれができたはずだからだ。現在では極めて難しい状況になっている。頭の悪い憲法学者がこの「占領規定」を珍重し、それに左翼(左翼というのはあくまでも総称としての)が乗っかるという図式が定着化しているし、多くの日本人もそれが正しいのだと、、、。
呆れたこの国の惨状。それでもここ数年はこれまでよりも多少改善の兆しはあるのかもしれないが。十年ほど前までは、街宣右翼が叫ぶだけの話にすぎなかったが。彼らは「自主憲法制定」と言っているが、正しくは少し違う。
本来の姿に戻すだけでいいという話だ。どんな憲法であれ、日本人自らが心血を注いだものに戻すべきなのは言うまでもない話だが、街宣右翼しか声高に言わない戦後の日本の異常事態を想う。
とは言え、自民党結党以来の党是は「自主憲法制定」だということをどれだけの国民が意識しているのか。日本国憲法を制定した張本人が今の憲法は自らの憲法ではないと明言しているのだ。これ以上の「歴史的証明」が一体どこにあるというのか。
この問題は結局、あるいは結果的にそういうことと密接に関わっている。
これを契機に愚かな「左翼」連中が、「日本文明破壊計画」のツールとして、再びこれを利用し、中国や韓国らの外国勢力がこれに乗ずる、といういつものパターンになることを恐れる。
アメリカにしたところで、自分達と関係ない文化文明がどうなろうとどうでもいいことだし、それでさらに「日本の西洋化あるいは米国化」が進むことは悪いことではないと。
それに対して、日本の「識者」というのがはなはだ頼りなく、まともな見識もない、にわか西洋かぶれみたいな意見をよろよろと弄するだけであるといういつものパターンはもう「見るのもうんざり」である。
宗教がどうの、政教分離がどうの、英国王室ではどうのとか。そんなこと関係ないだろう。そんなことでこの国の国柄が揺らぐならそんな「クソ憲法」など破棄してしまえばいい。あんなものを「珍重」する連中の気が知れない。
国家の在り方を規定するのが憲法なのにも関わらず実際にはそれを破壊するツールでしかないのであれば、そもそも本末転倒だ。
結局、国柄という問題の話である。宮様個々人の見解はあったにせよ、本来なら話題にもならない当たり前のことがそうでなくなりつつあるという話でもある。
自らの文明は自らで守っていかなければ、それは消えてゆくしかない。それを本気で考える日本人がこれからの時代どれだけ出現するかに全てはかかっている。
https://mainichi.jp/articles/20181201/ddm/005/070/075000c
呉善花さんの日本と神道 「水に流す」と「恨」の文化の狭間で
先日、DHCテレビでの呉善花さんの出演する番組を見た。
彼女は済州島の出身だが、徹底的な反日教育を受けて育ち、日本に来た。ただし親は戦前の日本のことについて悪いように言うことはなかったという。
しかし、日本に良い印象を持っていなかったのに、何故、日本に来たんですか?と百田さんが大阪のおっさんぽく、歯に衣着せぬ物言いで聞いていたが、当時は韓国から外国に出国することが難しい時代で、日本経由でアメリカかカナダに行くつもりだったらしい。
はじめは日本人の行動心理というか何故こういう言動をするのかというようなことが理解できず、悩んだと言う。そのあたりの経緯は彼女の著作「スカートの風」等に詳しい。
ある日、日本のサラリーマンたちが韓国について語る会のようなものがあるというので参加したらしいが、その際、韓国の歴史についてさんざんひどいことを言われ腹がたったらしいが、その辺が自分の国の歴史についてもっと知ろうと思ったきっかけだったという。
彼女が日本人の心がどうしても分からず、どうしようかと悩んでいた時、神社に行ってみようと思ったという。
それまで分からなかった日本人の心が神社に行くにつれてようやく理解できたという。
かく言う自分はもちろん韓国人ではないが、やはり戦後世代の日本人として、若い頃は日本のこと、日本の文化文明について確とした価値意識も重要性も感じていなかった。
20代の半ば頃にあるきっかけで神社に非常に興味を抱くことがあった。
それ以降その魅力に惹かれていったが、自分も神社神道の魅力や価値というものに目覚めることがなかったら、多くの現代日本人と同じく、自らのアイデンティティーが曖昧なまま、大して日本という国に愛着を抱くこともなく、外来の文化を「優遇」する人生を送ったことだろう。
日本を知るには、やはり神社あるいは神道しかないと自分は思っている。
仏教的な価値観というものも、日本の文化に溶け込み、無常であるとか、魂の流転循環と自然の流転循環との融合という、日本的な仏教的解釈に昇華し、我々の感性を豊かならしめていることは事実である。
しかし、そういうことも含めて、日本人の起点、原点に神社神道があるということは間違いのない事実である。
韓国人にも、彼女のような人が多ければ両国は上手く付き合っていけるであろうと思うのだが、現実は厳しい。彼女の話を聞いているとつくずく思うが、根本的な部分で、日本人と韓国人(朝鮮人)は全く違う価値意識を持っているということだ。そういうことをよくよく理解してつきあう必要がある。
「いろいろ問題はあっても、誠意を見せてしばらく我慢してつきあっていけば、いつか分かってくれるはず。過去の食い違いは、お互い水に流して、これからはすっきりと行こうじゃないか。よーし、この話はこれでもう終わりだ!」
日本人の人間関係にはそういうところがあるが、彼等には全くそういう感性が存在しないということだ。
彼らは「水に流さない」。
呉善花さんのような人がいて、いろいろ教えてくれることは、「国際音痴」の日本人には非常に貴重なことである。
https://youtu.be/z9UOuD7w-YE
