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天皇の本義 文明を守るために天皇は必要か

世の中には天皇が嫌いな人がいる。まあいろいろ理由があるんだろうから、それについてとやかく言うつもりもない。

しかし、そういう人に私は言うことがある。

「天皇というのは、要するに日本の文明を守る存在であり、背負う存在であり、自ら体現する存在なんですよ。」

するとこういうことを言う人がいる。

「日本の文化文明を守るために天皇など必要ない。日本人一人一人が守っていけばいいのだ。」

確かにそうだ。日本の文化文明というものは日本人一人一人が守ってきたものには違いない。

しかし、この「みんな」という概念があやふやである。

我々庶民というのははかない存在であって、時と状況に流される存在である。どれほど強い想いがあったとしても、何かのきっかけで気分も変わってゆく。

昨日まで「天皇陛下万歳!」と叫んでいた人達が、一夜にしていなくなってしまう。

1000人いた人が30人になってしまう。

庶民の心というものはそういう頼りなさがある。

「いや本当はやりたいんですけど。いろいろありましてね。」

それでは困る。

天皇とは古代から連綿とそれに全身全霊を傾けてきた存在である。それを背負い続けてきた存在である。その蓄積は計り知れない。

我々虚ろな凡人とは違う存在であるし、そうあってもらわなければ困る。

その肩代わりを誰ができるのか。

「みんなでやればいい。」

「俺がやる。」

では聞くが、あなたはこの国の文明というもの、先霊の魂や神々との交流の全てを全身全霊を持って背負い続けることができますか?

「できる!」

と叫んだとしても誰も本気で信じるものはいないだろう。

仮にあなたにその気があったとしてもあなたの子や孫はどう思うか見当もつかない。

特別な役割をもった存在というものがいる。

そういう存在を大切にする心を失えば、やがてその国土は荒廃し、価値の低いものになってゆく。

天皇の本義とはそういうところにある。

軍国主義と愛国心

戦後の映画などを見ているとよく聞くセリフ、

「国のためなんかじゃない。家族のために、愛するお前のためにおれは死ぬ。」

的なものをよく見かけた。要するに、国なんかどうでもいい。愛する家族のためにおれは戦うんだ。といったテイストの意味あいがある。

そして、戦争で死んでいった人もみなそんな感じで死んだのであり、とても格好よく、国のためとか力説する人間は、何か悪役的な雰囲気が漂っている。

そういう悪役的な人物と愛国心が結びついている。

戦後は愛国心というのは「軍国主義」と同義であり悪役の概念になっている。

しかし、愛国心というのは日本にも、どの国にも古代からあるものだ。戦争中はその時の情勢に応じて軍事的な問題とそれとがリンクしていたに過ぎない。

「お国のため、天皇陛下の御ために」というのは、軍国主義の常套句ではなく、昔からある概念だ。「国のため」とは自分の郷土のことであり、そこにある風土であり、自分を育てた環境や人や物や地域のことでもある。

その恩恵によって自分があるならば、それを想う心があるのは当然のことだ。

家族のために命をかけることだけでなく、そういったこと全てを守るために死んでいった人々の思いをくみ取らなければ、あの戦争の意味は分からない。

天皇陛下というのは、個人のことではない。この国に古代からある文化文明のことだ。

それらの代表者であり柱となられているのが天皇なのであって、天皇の存在を守るということは、日本という郷土国土、文化文明を守ると言う決意を現すことに他ならない。

そういうことを何も考えず、小さな個人や家族にのみ、人の思いを封じ込めてしまった戦後日本のある種の価値意識というものはやはり、狭小で、スケール感に乏しいと私は感じている。

靖国にお祀りされている英霊というものの意味はこういうところにある。

そのことを忘れてしまった日本社会というものに英霊は泣いている。

愛国心というのは、支配者のために命を捧げたり、興奮したりする概念ではない。

国を想う心。郷土を想う心。文化文明とそれに関わる価値観や智慧を守りたいと思う心。そういうことである。

そういうことにまで、思いを馳せることができれば、この国の豊かさは増すのではないか。

愛国心と言う言葉が戦後日本人の手垢にまみれてしまったのであれば、別の言葉で表現してもいいだろう。要するに本質があっていればいいのである。

ひきこもり・家庭内暴力と愛国心

ひきこもりと自虐史観のような、自虐的な日本人の戦後的体質とは何か関係があるのもしれない。

愛国心と言うと、何か悪いことのように言う風潮があったが、自分の国を愛することを否定するということは、結局自己否定と同じだ。

愛国心とは要するに自分の生まれ育った社会への肯定と親しみのことであり、文化文明への敬意であり、先祖先霊を敬う心ということだ。

自己否定とは自分の家族の否定であり、自虐史観は、自分が育った環境や価値意識、自分達の先祖の否定につながる。

要するに自分の周囲の環境そのものを愛することの否定につながる。

そんな環境で育ったら、ひきこもりになる子供が出ても不思議ではないと思う。家庭内暴力というのも、要するに自己崩壊現象ということだ。

ひきこもり・家庭内暴力とは要するに、民族の秘められた怒りを代弁しているのであり、神々や先霊の怒りに震えている魂の表れではないかと感じる。

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