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減災は意識化から
東日本大震災以降で考えると、東北、長野、熊本、大阪、北海道で大きな地震が起こった。災害という意味では中国地方や福岡等での水害もあった。
今までの感覚からすると思いもよらない場所や、意識化できていないところで災害が起こるような気がする。災害は抜き打ち的に起こる。
「まさか自分は被災しないだろう」
という考えは危ないのかもしれない。意識が飛んでいる時が危ない。
高知・和歌山から千葉までの「最も起こる」と言われているエリアで大きな災害がまだないのは不気味なくらいだ。
「災害は起こるし、被災もする。」
そういう気持ちを持つこと。意識化することでむしろ減災するような気がする。
関東東海における天変地異というのも今一度意識化の必要があるだろう。
備えあれば憂いなし という言葉もある。
血と魂 引き継ぐということ
引き継ぐということにはまず二種類ある。
血によって引き継ぐということと、魂によって引き継ぐということだ。
血というのは言うまでもなく血族として繋がっておりその意志・意思を連綿と引き継ぐと言うこと。
魂として引き継ぐというのは、その引き継ぐべき本質を、血の繋がりとは関係なく引き継ぐ意志・意思を表すということである。
血と魂が両方において引き継ぐというのは最も強固な形には違いない。
一方で養子などによって家を引き継ぐように、そこに伝わっているものを血の繋がりとは関係なく引き継ぐこともある。
血の繋がりは全くなくても、血の繋がった者以上に強く引き継ぐ意志・意思を表すものもいればその逆もある。
例えば、日本人であるのに、日本を、あるいは日本文明を貶める(おとしめる)ことに血眼になるものもある。
逆に日本人の血は入っていなくとも日本を愛し日本文明というものの魅力を全力で伝え守りその意志・意思を発展させていこうと懸命になるものもある。
血が繋がっていれば良いというものではなく、その魂がそれを引き継ぐ意志・意思を持つということが最も重要なことであるということになる。
もちろん天皇家のように、血も魂も兼ね備えて引き継ぐ場合には背負い込む密度は最大となる。
神の大小と人の大小
神様には大きい神様もあれば小さい神様もいるというのは事実だ。伊勢神宮や出雲大社や三輪山の神様のような大きな神様もいれば、田舎の実家の裏山にいる小さな神様もある。
しかし小さな神様を大切しているからと言って、大きな神様を大切にしていることよりもそれは小さいということにはならない。
小さな神様を大切にしている人が世の中に大きな影響を与えたり、世のため人のためになる仕事をすることはいくらでもある。
大きな神様を大切にしているからと言ってそうなるわけでもない。
神々の大小とそれに関わる人々の大小は、正比例もしなければ反比例もしない。
だから小さな神様だからと言って雑に扱っていいという話ではないし、大きな神様、最高神が一つあれば他の神様は不要であるというのは大きな間違いである。
巨人が一番強いから巨人以外のチームは不要である。もはや野球をする必要はない。してもいけないんだと。そういうことと同じである。
巨人ファンが最高のファンであって、それ以外のファンは大したもんじゃない。と言うのとも同じである。平家にあらずんば人にあらずとは?
いやあ、神様の話と野球のチームの話では、話が違うだろう。次元が違う。
そう言うかもしれない。しかし、私は全く同じだと感じる。
恐らくこの話は、たとえ、次元が違っても、宇宙の果てまで変わらないのではないか。
