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ハワイ王国の第7代国王 デイヴィッド・カラカウア[/caption]先の文にて、西洋、とりわけユダヤ・キリスト教文明と日本との関わりについて述べた。しかし、日本の位置づけはそれで終わらない。時は幕末から明治初年。明治政府は西洋列強とユーラシア大陸側からの圧力をうけながら、自国の保全に力を奪われていた。その時、はるか東、太平洋の真中の諸島の王国から一人の王が明治天皇を訪れた。
これから記載する内容は、一つ一つのテーマだけでも何冊かの本になるくらいの内容を含んでいる。今回できるだけ短くしたが、本来はもっと詳細に研究が必要な項目である。ヨーロッパの記憶 昨日、あるルーマニア人を接待することになり、二人で数時間さまざまなことを話した。彼は、日本へ初めて来た。食事中、彼は私に質問してきた。
1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で、“七生報国”(七たび生まれ変わっても、朝敵を滅ぼし、国に報いるの意)と書かれた日の丸の鉢巻をし、雄叫びを上げながら自決した。その少し前、1970年(昭和45年)7月7日の新聞紙上で、『果たし得てゐない約束』という文章を寄稿している。
