昨日書いた文章は、最近自分がふとした瞬間に感じたこと、もしかしたら明治期頃までの日本人の生活感覚はこんな風ではなかったのか、と感じたことをささやかに切り取ってみたものです。
先祖を敬い、この土地に住めることへの感謝と、この国を作った人達と神々へ敬意を払い、かと言って、そこに理屈や理念を差し込んで、過剰に肩入れすることもなく、人間の魂と土地の持つ豊穣さとが無心に一体となり、喜びも悲しみも、流れるような自然体の中で息づいていく生活。
戦後、日本人の心は大きく変容し、それまでの日本人の生活感覚は失われたものと思われています。しかし、それは失われたのではなく、眠り、隠れているといったほうが正しいのかもしれません。
現代人の表面にぺたぺたと張られたさまざまなレッテルを一枚一枚はがして行ったとき、私達の源風景に辿りつきます。
現代の日本社会は、アメリカ的な思考優先のストレス社会に毒され、人間の表面に張り付けられた薄皮のようなレッテルを、止めどなく突いたり、攻撃したり、いたわったりすることに狂奔しているように思われます。
本当の日本人とは。そういう生活感の快復、あるいは気づきは、これからの私達にとって重要なテーマではないかと感じています。

