私にとって、その土地を訪れるということは、その土地の守り神にご挨拶をする、ということでもある。箱根の温泉は千年以上前から知られるが、最初の源泉は箱根湯本の湯坂山。そこには、熊野神社がある。温泉発見の際、守護神として、この地に勧請されたのであるという。今回その場所を訪れることはなかったが、ネットで検索してみる限り、どうにも荒れ果てているようである。

江戸時代、箱根湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀から芦ノ湖付近の芦之湯までの各所を箱根七湯と称し、それぞれ熊野権現が置かれていた。(明治以降十七湯と称された)

芦ノ湯は中でも最も標高が高く、夏は気温が良好で絶好の避暑地であるとして、当地熊野権現の敷地内に東光庵という庵が設けられ、多くの文人墨客が訪れたのだという。主なところで、賀茂真淵、本居宣長、蜀山人など。明治に入り、西郷隆盛と木戸孝允の密談の場としても利用されたようである。しかし、東光庵は明治に入り急速に忘れられ、明治15年には取り壊された。

この地の熊野権現がその後どうなっていたかは知らない。戦後以降、社もなくなっていたらしいが、平成13年に庵とともに、小さな社殿も再建された。再建にあたっては、中曽根康弘氏が関わっていたようで、敷地内には、中曽根氏による句碑がある。

それから10年の歳月が流れる。清掃だけは行き届いているものの、この地は荒れ果てている。誰訪れることもなく寂しく佇む。庵の葺き屋根には、冷やかしのような草が幾本も背を伸ばし、再び朽ち果てるのを待っているかのように思える。庵を見学し、神社を参拝する旅行者や、地元旅館の関係者の姿も見当たらない。

敷地内に古くから残る、山神社の石造りの小さな社殿の中は空っぽであった。手を合わせると、背後の大木の向こうから、一陣の風が、私の肩越しを寂しげに吹き抜けた。

箱根は今、ピーク時には繁盛を極めるが、年間を通して、苦しい状況が続いているという。流行を追う者は、時代の流れに乗る才能があれば、隆盛を極めるが、衰退もまた早い。伝統を守るということ。全ての、というわけではないであろうけれど、旅館の経営者や女将さん達が、源泉を守る守り神にご挨拶をする習慣も、その地の歴史を見守る慎しまやかな思いも、もはや遠のいているように思える。

箱根の優雅な和風建築が、この山神社のように悲しく朽ち果てぬことを祈るのみ。伝統を有する地域の復興と発展には、その地域の歴史の重みとその地の守り神を思う気持ちが必要であると私は思う。

(写真 敷地内山神社、再建された東光庵と熊野神社、中曽根元首相の句碑)

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