欲望の扱いについて気づいたことがあった。
欲望は最大限に肯定すべきだ
ということである

「知的な」現代人は

欲望はコントロールされねばならない
欲望をコントロールできない人間は一流の人間になれない
こういう俗説に私は苦しめられていた
くそ真面目な宗教的人間(w)である由縁であろうか
少なくとも私の数十年に渡る試みから得た結論は

「欲望はコントロール不能である」

ということだ

欲望をコントロールするということは
欲望を抑制しようという方向へ向かう
しかし、欲望はいかなる次元においても
我が肉体から追放することは不可能であろう
カトリックの神父が自らの様々な欲望を憎み
己が肉体から放擲しようと七転八倒する
仏教の僧侶も同様で、瞑想などでこれを亡きものにしようと試みる
しかし挙句、彼らに残されたもの
それは激しい抑圧意識だけである
という現実が大半であろう
宗教者の抑圧というものには時として凄まじいものがあるのである。
もちろん克服できるものもあるだろう

しかし、恐らくそれは

通常の人間の意識のプロセスとはずれているだろう
真に克服した人間と、格好つけているだけの人間とは
そうなるまでのプロセスにおける意識の次元が
異なっているだろうということである

曰く

欲望を放擲したり消滅したりすることは不可能である
我々が人間という生き物、動物の一種である限りにおいて
欲望のエネルギーは最大限に肯定すべきだ
達人はそのエネルギーをいろいろな方向へ
振り向けることに卓越しているはずである
これが「欲望」というものの正しい扱い方であろうと感じた
これは多分間違ってないであろうと、今日確信できた
これこそが苦悩の種と言うべきものであろう

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欲望を何とかしようとすればするほど
人は欲望の奴隷になるのである
だから私たちは
この欲望という凄まじい感情を
心からいたわり愛することが必要なのかもしれない
激しく吠える犬を心からいたわるように

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