歴史は古代から現代にいたるまで、社会を動かす主人公が下って行く歴史でもある。

神→王→貴族→武士→資本家→大衆

というように。これはある程度時差や内容の違いがあるが大きくみれば世界的に起こってきたこと。

民主主義という時代になって、民衆とか大衆と言ったものが社会の主役になって久しいが、インターネットの登場は、それをさらに進めた。

民衆(大衆)→個人へ

現代民主主義の総本山であるアメリカでこの仕組みが誕生したことは象徴的である。

その人間社会形態の最終段階の象徴でもあるのが「トランプ」ということにあるのであろう。

今やロイターなど主要メディアのアメリカ関連記事の大半が彼に関する記事となっている。皮肉にもメディアは「トランプ」で食っている。

自由と民主主義、コカコーラ、ハンバーガーなどがあるが。恐らくインターネットこそはアメリカにおける最大にして最後の偉大な発明品となるだろう。

神から始まった社会の主役の「降下」現象は「個人」をもってついに終焉を迎える。

これ以上降るところがないからだ。

フランシスフクヤマというアメリカの評論家が「歴史の終わり」という著作を出したのは、インターネットが世界に拡散する以前のものであるが、自由と民主主義とそれを支える資本主義こそは歴史の最終段階であり、それはソ連の崩壊によって完成されたと言ったが、もう一段階あったということである。

個人まで来たら次は何処へ行くのか。あるいは「歴史の終わり」なのか。

私はある意味、「元へ戻る」現象が起こると見ている。双六で言えば「スタート」へ還るということ。しかしそれは古代に戻るということではない。

http://jp.reuters.com/article/idJPKBN13W06R

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