日本人ならこう考えるかもしれない。

「人を殺すという行為をなす以上、自らの生命を賭す覚悟で行うべきである。自分が人を殺しておいて、自分が死ぬのは嫌だと言うのははなはだ卑怯の極み、あるいは情けない人間である。もっとも、非常に不遇な境遇にいるとか、止むに止まれぬ状況下で追い詰められたとか、何か人道に照らして心情が理解できるのというのであればこの限りではない。」

一方、聖書にはこうある。

「一つの町へ進んで行って、それを攻めようとする時は、まず穏やかに降服することを勧めなければならない。

もしその町が穏やかに降服しようと答えて、門を開くならば、そこにいるすべての民に、みつぎを納めさせ、あなたに仕えさせなければならない。

もし穏やかに降服せず、戦おうとするならば、あなたはそれを攻めなければならない。

そしてあなたの神、主がそれをあなたの手にわたされる時、つるぎをもってそのうちの男をみな撃ち殺さなければならない。

ただし女、子供、家畜およびすべて町のうちにあるもの、すなわちぶんどり物は皆、戦利品として取ることができる。また敵からぶんどった物はあなたの神、主が賜わったものだから、あなたはそれを用いることができる。

遠く離れている町々、すなわちこれらの国々に属さない町々には、すべてこのようにしなければならない。

ただし、あなたの神、主が嗣業(注)として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。

すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとはみな滅ぼして、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。

これは彼らがその神々を拝んでおこなったすべての憎むべき事を、あなたがたに教えて、それを行わせ、あなたがたの神、主に罪を犯させることのないためである。

長く町を攻め囲んで、それを取ろうとする時でも、おのをふるって、そこの木を切り枯らしてはならない。それはあなたの食となるものだから、切り倒してはならない。あなたは田野の木までも、人のように攻めなければならないであろうか。

ただし実を結ばない木とわかっている木は切り倒して、あなたと戦っている町にむかい、それをもってとりでを築き、陥落するまで、それを攻めることができる。」(申命記第20章より)

(注)主によって分け与えられ受け継ぐべき財産、特に土地を指す

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