人には全て、俗性と神姓とを持つ。人が俗性に傾けば、俗物であり、神性に傾けば神人への道にある。

日本人は、ある世界観の中で秀でた人のことを軽く「あの人はカミだ」と言う。

その考え方は非常に日本人的であり、ある意味非常に正しい言葉の使い方である。

たとえどんな世界、生き方、職業の中にあっても、その人がその人の持つ神性に因っていれば、その時、その人の神性と、その人が関わる神々とが共鳴しているということである。

神社とはその共鳴装置の代表的なものである。

人が関わる神々との共鳴状態にある時、その人は神が懸(憑)っている状態であり、「カミガカリ」の状態にあるということだ。

そういう状態のことを、より神聖な表現として「現人神」と呼ぶ。

「天皇は現人神である」

という。

それを戦後GHQが間違いだ、「悪」だとして禁じたが、彼等が誤っている。少なくとも、日本文明を全く理解していない。彼等のおかげで日本人自身が自らの文明を理解できなくなった。

天皇が現人神であるということは、天皇に天皇霊が宿り、天皇に関わる神々と天皇が共鳴あるいは、合一した状態のことを指すのである。

八百万の神々とは、万物に神が宿ると言うことであり、同時に全ての人にも関わる神々があるということだ。

天皇が日本文明の体現者、継承者、代表者、祭祀王である以上、天皇が現人神であるということは、日本文明を自ら示しているということに他ならない。

したがって、誰しも人は、自らの神性に因り、関わる神々が「かかって」いれば、「現人神」の状態である。

八百万の神々が万物に宿る以上、人もまた神として現れる存在、あるいは神と合一した存在、あるいは神性を体現した存在になり得るということである。

人が何かを目指している時、何をやってもうまくいかない時には、自らの神性に因っていない時、あるいは学びの時であって、上手くいっている時は、神性に因っている時、「現人神」の時である。

また、人が俗性に因っていれば、その時、神々はその人に作用しない。俗物であり、動物であり、生き物だ。(人間以外の生き物、万物に神性が宿っていないという意味ではない)

従って、どのような状態にある時にも、その人が、その人の持つ神性に因って生活しているということが、その人にとっての理想の状態であるということである。

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