自分は父親が40歳の半ばを過ぎてからの子である上に、父親が、昔の大家族の中での末っ子だから、父方のいとこ同士の中ではひとまわり若い。

年齢的に、いとことはとこの真ん中あたりにいるから、どちらと話しても近いし遠い。

親族と先祖や親兄弟の話をするといつも思うが、個人によって、父方に強く寄っている人と母方に強く寄っている人がいる。

だから父方の親戚と話をしていても、お互いの親和性が母方に寄っている場合、共通項がほとんどない。

母方ならその逆になる。

さらにはとこと話をしている時に、自分が祖父母の話を共通項として持ち出しても相手にとっては曽祖父母にあたるから、彼らからすると実感が薄い場合が多い。

誰しも、曾祖父母さんがどうのと話をされても、リアリティが薄く、そう言う人がいましたねえという感じでしかないから当然である。

よほど世に知られているような人ならいざ知らず。

しかしはとこと話をする場合、同祖というのは彼等から見た場合、曽祖父母が最も近い共通の祖になる。

男系女系というものを考える時、個々の意識世界を基準とした共通項とか共有性あるいは連続性というものは案外見出し難く、限られたものだということがわかる。

母方なら母方。父方なら父方というふうに集中していかないと、意識世界での連続性は見出し難いということになる。

しかし、興味の寄り方には個人差があるので、代を経て、意識が繋がったり、途切れたりするわけである。

Exit mobile version