壱岐 千人供養塚 元寇の爪痕

元寇は博多で食い止められたという話しか学校の歴史では学ばないが、壱岐対馬は壊滅し島民はほぼ皆殺しであった。事前に島から離れたものは助かったであろうが。

壱岐対馬は元寇の際、九州侵攻の前線基地になったのである。

逃げ惑い、山の上に隠れる女子供をしつこく探し出し、なぶり殺しにされたという。(写真の案内板に記載)

元寇は元と高麗の連合軍である。

少し下って、秀吉の朝鮮出兵の際、半島での戦線で指揮した小早川隆景は、日本にいる家族に何度か手紙を送っているが、大陸の戦争の凄惨さに気分が悪くなると書いている。

日本では基本的に武士同士が決戦しても農民などは危害を加えられることはなく、山の上から見物したなどという話があるほどだが、大陸は違う。

韓国などの反日映画で日本軍が妊婦の腹を割いて楽しんでいるなどというシーンがあるらしいが、あれは彼らが昔からそういう戦争をしてきたから描いているだけの話である。

だから日本軍もやったに相違ないという「前提」なんだろう。

さらに話が下って、昔私が知人の韓国人から聞いた話だが、当時はまだ韓国人が、北朝鮮を鬼のように恐れ憎んでいた時代だった。朝鮮戦争の記憶が鮮明だったためである。

彼がいうに、韓国人はほとんど全員が、自分の親戚や親、妻子供を北朝鮮軍に串刺しにされ、村で逆さ吊りにされたりした者が必ず一人はいるんだよ。私達はこのことを絶対に忘れない、と言っていたのを覚えている。

正直、当時の私にしてみたところで、我々日本人には聞きなれないという感覚であった。異質な世界の話を聞いているような気がしたものだ。

日本人は、元寇の時の壱岐対馬の話はもっと知る必要があると思う。それは現代とも決して無関係ではない。

写真は壱岐の千人塚。こういう塚が島内のいたるところにある。この写真は少し刺激が強いので掲載しなかったものであるが今回掲載することにした。

気を緩めずに。備えあれば憂いなし。

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